99年からボランティアの個人基金
そうした活動のスタイルばかりではない。
彼が日本のロックやポップスの中で誰も手がけたことのない作品を数多く残してきたソングライターであることの方が重要かもしれない。
ひと言で言うと社会性ということだろうか。
今、どんな時代に生きて、どんな社会に暮らしているのか。僕らはどこから来てどこに向かっているのか。それを自分のアイデンティティとして歌にしてゆく。80年代のアルバムの中には、核や地球環境、日本の戦後の歩みへに対して思うことなど、それまでのメジャーなアーティストが取り上げて来なかったシリアスなテーマが歌われていた。それも「メッセージ」としてではなく、広島の被爆二世である自身の祈のりや願いとしてだ。
新作アルバム「Journey of a Songwriter」は、ラブソングのアルバムである。「レコーディングとツアー以外は旅をしている」という彼の内面も交えた音楽の旅。その中にはアジアに残された戦争の傷跡を歌った「アジアの風 青空 祈り」という三部作の大作もあった。今の世界の中でラブソングが歌えることのかけがえのなさ、それを守って行くという強い決意のようなアルバムだった。
今回の「難民支援プロジェクトの為のチャリティコンサート」は、後援が国連UNHCRだった。これまでオペラなどを後援してきたことはあるというUNHCRにとっては初めてのポップミュージックとのコラボレーション。会場の外には公式テントが設置され、客席には、UNHCRの事務局長はじめ10名以上の姿があった。
浜田省吾が99年から「J.S. Foundation」というボランテイアの個人基金を持っていることを知る人は少ないかもしれない。あえて語ろうともしてこなかったからだ。あくまでも音楽活動の中の一つの行為として続いている。目的は紛争、自然災害、貧困に苦しむ発展途上国の子供達の環境改善。国連UNHCRの後援も、2001年以来の難民支援の実績があってこそだった。