結婚以前にあった「人生における共同作業」
クララが書いたほとんど唯一といってよい、管弦楽がらみの曲、それが、「ピアノ協奏曲 イ短調 Op.7」です。1833年、なんとまだ彼女はわずか14歳の時に書かれた作品です。当初は、この時代にはやった「オーケストラ付きピアノ曲」として単一楽章のものを構想していたようですが、それを最終楽章に置き、前に二つの楽章を加えて、結果的には全三楽章を持つ、堂々たる「協奏曲」となりました。
ただ、さすがに、14歳のクララがいかに才能に溢れていても、オーケストラ・パートは苦労したらしく、全面的に、ロベルトに任せています。彼らは、まだ結婚以前に、「人生における共同作業」をこの曲で行っていたのです。
そして、この協奏曲の出だしの調である「イ短調」は、実はロベルトの考えに、基づいていました。ピアノ協奏曲はイ短調で書き始められなければならぬ、と常々、彼は言っていたのです。そういうロベルト・シューマン自身が自らのイ短調のピアノ協奏曲、現代でもよく演奏される人気曲ですが・・・・を完成させるのは、ずっと後の1845年になってからでした。
夫ロベルトの作品の陰に隠れてあまり演奏機会の多くない、クララのピアノ協奏曲ですが、小さいころからピアニストとして活躍し、作曲の才能にも恵まれた女性の、未来の夫との共同作業によって生み出されたこの曲は、みずみずしい感動を与えてくれます。
全楽章通しての初演は、1835年、未来の夫婦共通の友人、メンデルスゾーンの指揮、そしてもちろんクララ自身のピアノによってライプツィヒで行われました。
本田聖嗣