理念に基づく医療制度改革の提唱
その上で評者は、本書の真価は、ここまで述べてきた計量分析にとどまるものではなく、むしろ本書が医療制度改革の理念の提示にまで踏み込んでいることにあることを指摘しておきたい。
計量分析から、印南氏らが医療費適正化に魔法の杖はないという結論を導いていることは先に紹介した。その到達点から、筆者は医療をひとくくりにするのではなく、理念に基づいて医療を分類し、その分類毎に公的な支援の度合いを変えることを提案している。この提案の根底には、医療といっても、そのための費用は、社会保険料や税という形で他人の自由を制限するものとして徴収するほかない以上、医療の提供にも本源的な制約があるという認識がある。
具体的には、筆者は、自己決定を尊重するという自律の原理を根っこに据えつつ、是が非でも守りたい「救命医療」と、社会全体の資源制約のもとで取捨選択をおこなうほかない「自立医療」に分類する。「救命医療」にはいわゆる救急医療にとどまらず、癌などの「緊急性はないが致命的な疾患」が含まれる。「自立医療」には、「感染・危害」「機能障害」「苦痛緩和」などが入っている。そして、「救命医療」については保険の給付率を高める一方で、「自立医療」については給付率を引き下げる方向性が示されている。将来の財政危機時には、「自立医療」を対象として削減を図ることになるという。いまから将来の危機への備えを進めるという問題設定は、政府のなかからは出てきにくい重要な論点である。
資源制約下の医療資源の配分の問題は、欧米の生命倫理学において長い議論の歴史がある(加藤尚武、飯田亘之編『バイオエシックスの基礎』(1988年)第6部「医療における配分の倫理」所収論文の最も古い日付は1969年)。
たとえば、1)年齢による選別(終末期医療にかかる論議や、近年我が国でも議論が活発になっている質調整生存年(QALY)、Fair inningsなど)、2)医学的メリットによる選別(臓器移植の際の適合性検査や災害時等のトリアージ)、3)自己責任による選別(喫煙者だった肺癌患者と非喫煙者の患者の扱いは同じでよいのか)、4)富による選別(自腹の切れる者にはよい医療)、5)将来の社会貢献または過去の功績による選別(天才科学者の卵と凡人の治療のいずれを優先するのか)、6)運による選別(くじびき)、といった具合に様々な提案がなされている。
それぞれの基準の得失については山のように論文が書かれている。ただ、一口に医療資源といっても、金銭的資源が問題となる状況において、臓器移植の適合性検査やトリアージのように臓器や時間という資源が問題となる状況と同じロジックが使えるのか、議論があろう。臓器や時間という物理的資源に比べ、金銭的資源による制約は制約の度合いが緩いと認知されているのだろうか。それとも健康と金を比較考量することに、我々が持つ嫌悪感が影響しているのだろうか。そして、なによりも、これらの雑多な選別基準に関する論議を、実際の医療制度改革全体にどうつなげるかという議論が薄いようにみえる。
そうした意味で本書による提案は、この重要な欠落を埋める意義を持つものである。著者の提案を契機に、欠落を埋める議論が本格化することを期待したい。