シューマン最初の交響曲 第1番「春」は、シューマン自身の春を描いていた?

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クララ主催の公演で「春」初演

   長い法廷闘争を経て、1840年8月12日に結婚許可を勝ち取ったシューマンは、9月12日に結婚式を挙げます。

   9月5日までワイマールで「クララ・ヴィーク」として演奏会をしていた彼女は、1841年3月31日、ライプツィヒで「クララ・シューマン」としてカムバックします。この公演は彼女の主催公演で、主役はクララでした。ピアニストとして、ショパン、メンデルスゾーン、スカルラッティ、当時ピアニストとしてリストのライバルだったタールベルクなどの作品を弾き、そしてもちろん、夫となった、ロベルト・シューマンのピアノ作品を取り上げたのみならず、共通の友人、メンデルスゾーンが率いるゲヴァントハウス管弦楽団によって、交響曲 第1番「春」もあわせて初演されたのです。

   当時は、ピアノ独奏とオーケストラ作品や室内楽作品をミックスして演奏するスタイルは通常のことでした。

   長年の法廷闘争を経て、クララとようやく結ばれたロベルト・シューマンは、ちょうど人生の「春」を満喫していたところだったのです。そして、交響曲作曲家としてのロベルトもここに誕生したのです。

   「ロマン派」の主要な作曲家となるシューマンの、ロマンチックな時期に情熱をもって作曲された作品、交響曲 第1番「春」。「人生の春」という表現がありますが、シューマンはまさに自分の人生の「春」に後押しされて、この曲をわずか2か月で完成させ、世に送り出しました。

   本来、「春」は、急激にやってくる季節なのかもしれません。

本田聖嗣

本田聖嗣プロフィール

私立麻布中学・高校卒業後、東京藝術大学器楽科ピアノ専攻を卒業。在学中にパリ国立高等音楽院ピアノ科に合格、ピアノ科・室内楽科の両方でピルミ エ・ プリを受賞して卒業し、フランス高等音楽家資格を取得。仏・伊などの数々の国際ピアノコンクールにおいて幾多の賞を受賞し、フランス及び東京を中心にソ ロ・室内楽の両面で活動を開始する。オクタヴィアレコードより発売した2枚目CDは「レコード芸術」誌にて準特選盤を獲得。演奏活動以外でも、ドラマ・映画などの音楽の作曲・演奏を担当したり、NHK-FM「リサイタル・ノヴァ」や、インターネットクラシックラジオ「OTTAVA」のプレゼンターを 務めるほか、テレビにも多数出演している。日本演奏連盟会員。

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