もう一つの家――入居者と家族やスタッフ等の手によって育てられる場所――
「自宅で天寿を全うする」とは一つの理想であるが、現実はそうたやすくはない。介護者となる家族自身が高齢である、仕事や家事があるなど様々な事情から、支えきれなってしまう。しかし、「もう一つの家」、ホームホスピスでは、本人も、そして家族も、最期まで全うできる。
清子さんは、娘の空美さん家族と一緒に暮らし介護を受けていたが、家族の介護が限界となり、「いっしょにいたいけど、もう無理」という状況となって、楪にやってきた。
「ここにきたときは、家を追い出されたように感じたわ。知らない人といっしょに暮らすなんて、いきなり、いわれても・・・」
「はじめは、娘たちと口げんかもしょっちゅう」
「あたしのパンケーキがくずれていただけで、職員さんに文句をいっちゃった」
「胸の奥でね、言葉にできないいろんな気持ちが、ぐるぐるまわっていたような・・・」
しかし、楪で、寄り添う職員がいて、喜代子さんをはじめ入居者の友達もできる中で、次第に情がわいてきたという。
「戦火をくぐりぬけて、今日まで生きた者どうし。いっしょにすごすのも、そう悪くない」
特に、喜代子さんという友達ができたことは清子さんを変えた。
「今じゃ、娘にいえないことまで、話しちゃう」
二人が夢中になって語り合っている写真が幾度も出てくる。
楪での1年半は、娘の空美さんにとっても、支えを得られ、入居者の家族同士の交流も深まり、「夢のような時間」だったという。清子さんが息を引き取る際には、添い寝をしながら看取ることができた。自宅では介護しきれなかったけど、ここで母は望むような時間をすごせたそうだ。
「母とすごした最後の日々は、夢のような時間でした」
「楪で、母の尊厳と自律を最後まで皆さんが守ってくれた。おかげで、亡くなってもなお、不思議な満足感、幸福感に包まれている」
楪は、家族の心身の負担を軽くしながら、同時に、家族にしかできない寄り添いを促している。他の入居者や家族ともひざを突き合わせ、互いの親を一緒に見送る。遺族になっても、そのゆるやかな大家族の関係が続く。
開設者の嶋崎さん曰く、「楪は、みなさんの手によって、育てられている」
「死」という、ちょっと考えたくないけれど、避けて通ることができない現実を、このホームホスピスなら、去りゆく者も見送る者も、しっかりと受け止めて、バトンをつないでゆける、そんな気がした。こうした思いを受け継ぐ人々が増えていってほしいと思った。
JOJO(厚生労働省)