「ここではひとりじゃないから、楽しい」
90歳近くまで生きてくると、自分をよく知る連れ合いや兄弟姉妹は次第に亡くなってしまい、孤独感が募ってくる。加えて、病を得ると、生きる意欲も低下し、1日も早いお迎えを望むようになるという。
本書に登場する喜代子さんは、がんの治療を受けていた病院では食欲がなかったが、楪に来て、みんなで食卓を囲むなかで、食べる量が増えていった。
先に入居していた清子さん(脳梗塞で半身麻痺)との出会いも大きかった。最初は共に意識し合ってギクシャクしていた二人が、いたわり合っていく姿は心をうたれる。
「洗面所を先に使わせて」とか「職員さんをひとりじめしないで」とか、たわいのないことでぶつかっていたのが、ともに暮らす日々を重ねる中で、関係が変わっていった。一緒に食事をしたり、お茶を飲みながら、戦闘機からの銃弾を逃げまどった戦争の話から、胸をこがした恋愛の話まで、昔話に時間を忘れたという。
清子さん曰く、「喜代子さんが楪に来てくれてうれしいの。幸せだったことや、苦労したことをいろいろ話し合えたから。あたし、ここに来れてよかった」。「あたしもよ」とは喜代子さん。
しかし、がんの進行により、喜代子さんの体調は下り坂となり、最期の時を迎える。
喜代子さんが清子さん、家族やスタッフに看取られながら旅立っていく、その時間をカメラが静かに追う。
ゆったりと静かな別れがそこにある。
「ありがとう。またね、また会いましょうね」
楪では、人生の最終盤で、新たな出会いがある。