「春」とベートーヴェンの運命
ヴァイオリンソナタという分野は、ベートーヴェンの時代のすぐ直前まで、事実上「ヴァイオリンの助奏つきピアノソナタ」というものが多く見られました。鍵盤楽器のピアノのほうが主役で、ヴァイオリンが脇役としてそれに絡む、というスタイルです。
ベートーヴェンの4番以前の作品も、その傾向が見られますが、彼は、この4番5番で、彼自身がピアノに比べてヴァイオリンの演奏ははるかに苦手だったにもかかわらず、ヴァイオリンの重要度を増す工夫をしています。
直前の第4番はどちらかというと暗く、悲劇的な雰囲気の部分が多く見られますが、対照的に第5番は、ヴァイオリンとピアノがほぼ対等な関係で、とても軽やかかつさわやかな旋律を紡いでいく、まさに「春」という言葉がぴったりな快活な曲になっています。第4番が3楽章までだったのに対し、第5番は全4楽章となり、ここでもベートーヴェンがヴァイオリンソナタという形式を発展させようとしている試みがうかがえます。
ベートーヴェンは同時期に交響曲 第1番 Op.21も書いており、それまでの「作曲もするピアニスト」から、本格的な作曲家として世の中に評価を問おうとしている姿勢がうかがえるのです。1770年生まれのベートーヴェンが30歳のころ、というのはちょうど1800年。このヴァイオリンソナタは、ベートーヴェン自身の作曲家としての第一歩を告げる「春」であり、19世紀のスタートを告げる「春」であったともいえるでしょう。
しかし、好事魔多し。ベートーヴェンはこのころから耳の疾患に気づき始め、音楽家としては致命的な「難聴」と戦うことになります。同時に、ヨーロッパはナポレオン戦争の渦に巻き込まれ、この曲の依頼者、ベートーヴェンだけでなくシューベルトなども支援したモーリッツ・フォン・フライ伯も、破産に向かって突き進むことになります。
春は、やはり桜のように儚かったのかもしれません。
本田聖嗣