教科書でもおなじみ「山道を行く」
家族に反抗して14歳で家出をしたグローフェは、新聞配達からエレベーターボーイ、トラックドライバーにバーのピアノ弾きまで、なんでもこなすアルバイト生活を送りながら、それでも音楽の道をあきらめず勉強をつづけました。
彼は、それまで学んだクラシックだけではなく、当時のアメリカで大流行中のジャズも取り入れ、実に幅広い音楽家となります。そして、28歳の時にポール・ホワイトマン率いる楽団にジャズ・ピアニストとして勤めることになりますが、多彩な楽器を知っていて、クラシックの基礎もちゃんとしているグローフェは、編曲家として重宝され、13年間も、ホワイトマン楽団のチーフアレンジャーを務めることになります。
編曲を次々とこなしながら、彼はオリジナルの作品も作曲をつづけていました。その題材は、祖国アメリカを題材にしたものが多く、「ミシシッピ組曲」「デス・ヴァレー組曲」などを作曲していきます。
そして、ホワイトマン楽団に入団した時から約10年の歳月をかけて、いつか音楽で描きたいと思っていたアリゾナ州の雄大な「グランド・キャニオン」の景色をオーケストラ作品とした代表作を作り上げるのです。
組曲「グランド・キャニオン」の3曲目「山道を行く」は、日本でもよく教科書などに取り上げられています。峡谷の道をロバが歩く様子が音で表現されていてユーモラスかつ、リアルなのですが、そのほかにも、1曲目「日の出」や、5曲目「豪雨」など、グローフェの熟練のオーケストレーションを楽しめる「紀行音楽」となっています。
基本的にはクラシック音楽の技法で描かれていますが、もちろんジャズの要素も入り、大変聞きやすく、親しみやすい、アメリカを代表する名曲です。
そこには、フェルディナンドから改名した、正真正銘のアメリカ人、「ファーディー」・グローフェの祖国アメリカへの熱い思いをも感じることができます。
本田聖嗣