バッハ円熟期の充実した鍵盤楽器のための作品
「パルティータ」

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鍵盤楽器の最高峰のひとつ

   ともあれ、それまで鍵盤楽器・・・当時はまだほとんど「ピアノ」という楽器が普及していませんので、主にチェンバロで演奏することが想定されていました・・・の作品として、たくさんの舞曲形式からなる小曲を組み合わせた「組曲」という形式で、現在では「フランス組曲」、「イギリス組曲」と呼ばれている作品をケーテン時代に完成させていたバッハは、その延長線上の作品を作り始めます。組曲形式とは、「アルマンド」「クーラント」「サラバンド」「ジーグ」という基本骨格を形作る舞曲を決められた順序の通り配置し、そこに、第1曲目として「プレリュード」を前に追加したり、「ガヴォット」「ポロネーズ」「メヌエット」といった最新流行の舞曲を最終曲「ジーグ」の前に配置したりする形式ですが、すでに自分の作品に自信を深めていたバッハは、さらに大胆に新しい舞曲を付け加えたり、伝統的な舞曲名がついていても斬新な響きを持つ曲を次々に作り出します。

   おそらく、教会音楽の仕事の忙しい合間を縫っての作曲だったはずなのですが、バッハは、1726年に第1番の組曲、1727年に第2番と第3番、1728年に第4番、1730年に第5番と第6番とそれぞれの組曲を印刷楽譜とし、1731年に多少推敲を加えて、全体を一つの曲集として、「クラヴィーア練習曲集第1巻:作品1」としてまとめて出版しました。作品(番号)1、としたところからも、バッハの作品にかける意気込みがつたわってきます。

   すでに彼は、フランス趣味や、イギリス風の様式なども取り入れた組曲を作ってきていたので、この組曲には音楽先進国、そして、ドイツでも「おしゃれな」というイメージのあるイタリア趣味を取り入れました。この曲集は、バッハによってイタリア風の「6つのパルティータ」というタイトルを与えられ、現代のピアニストにとっても重要なレパートリーとなっています。円熟期のバッハが生み出した、鍵盤楽器のための最高峰の作品の一つ、と言って差し支えない、工夫とドラマにあふれた曲集です。バッハのピアノ音楽のエッセンスを味わうことができ、第1番から第6番まで、いずれも甲乙つけ難く、どの組曲もそれぞれに個性があっておすすめです。

    ちなみに、楽譜の扉ページには、「クラヴィーア練習曲集。プレリュード、アルマンド、クーラント、サラバンド、ジーグ、メヌエット、その他の典雅な楽曲を含む。愛好人士の心の憂いを晴らし、喜びをもたらさんことを願って、ザクセン=ヴァイセンフェルス公宮廷現任楽長ならびにライプツィヒ市音楽監督ヨハン・ゼバスティアン・バッハ作曲。作品I。自家蔵版。1731年。」という長い記述があります。練習曲、と書かれていますが、これは現代の私たちが想像する古典派のツェルニーなどの練習曲とは違い、「演奏することによって、様々な曲が体験できる」というほどの意味で、ライプツィヒの前任者が出版していた曲集タイトルを模倣したものと考えられています。オルガンやオーケストラを必要としない、チェンバロさえあれば、家庭でも演奏できる器楽曲ですから、バッハがいわばライプツィヒの一般市民に向けて発表して、評価を問うた自信作だったのですが、当時から「かなり演奏の難易度が高い」として、残念ながら売れ行きは思ったほどではなかったようです。

本田聖嗣

本田聖嗣プロフィール

私立麻布中学・高校卒業後、東京藝術大学器楽科ピアノ専攻を卒業。在学中にパリ国立高等音楽院ピアノ科に合格、ピアノ科・室内楽科の両方でピルミ エ・ プリを受賞して卒業し、フランス高等音楽家資格を取得。仏・伊などの数々の国際ピアノコンクールにおいて幾多の賞を受賞し、フランス及び東京を中心にソ ロ・室内楽の両面で活動を開始する。オクタヴィアレコードより発売した2枚目CDは「レコード芸術」誌にて準特選盤を獲得。演奏活動以外でも、ドラ マ・映画などの音楽の作曲・演奏を担当したり、NHK-FM「リサイタル・ノヴァ」や、インターネットクラシックラジオ「OTTAVA」のプレゼンターを 務めるほか、テレビにも多数出演している。日本演奏連盟会員。

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