私は、クラシックの音楽家なので、著作権にはそれなりに敏感になります。自分が演奏家として著作権隣接権のお世話になることもありますし、自分の作曲した作品や、友人の新作を演奏して、著作権そのものにも恩恵を受けることもあります。最近では、著作権管理団体のJASRAC(日本音楽著作権協会)が、音楽教室内での演奏にも著作権料を課す・・という発表がニュースになりましたが、音楽教室にもかかわっている私としては、複雑な気持ちで、それを眺めています。
演奏家が作曲をすることは難しくない
現代は、テレビ・ラジオ、そして新参のインターネットなど、広く音楽などを届ける手段があるために、著作権というものがとても重要になってきています。そこに巨大な利益と利権が発生するからです。では、著作権の出発点は何だったかというと、出版という、放送メディア以前のメディアが登場した時に、無許可の出版を防ぐために、国王などの権力者に庇護してもらうために、著作権料というものを設定し出版業者が権力者に願い出た、という17~18世紀欧州での動きでした。それ以前は、著作権という考え方がそもそも存在しませんでしたし、音楽などは、むしろ人の口から口へ伝播することによって「人気曲」となったりしますから、著作権的にはとても鷹揚な考え方をされていました。事実、このコラムでもたびたび取り上げてきていますが、ロッシーニやヘンデルは自作の転用を、かのモーツァルトでさえ時間がないときはミヒャエル・ハイドンの作品を丸ごとそっくり自作の中に取り入れています。現代でしたら、この二つとも大問題になりそうですね。
1875年、ウィーン生まれのフリッツ・クライスラーは、なにより「ヴァイオリンの演奏家」として名をあげました。19世紀後半は演奏家と作曲家が分離した時代・・・それ以前は、作曲家は演奏家を兼ねていましたから、モーツァルトもショパンもリストも、自作を演奏して演奏会をすることが当たり前でした・・・で、それだけ曲が高度になり、作曲しつつ、プロとしての演奏をすることが次第に難しくなってきたことがわかります。しかし、その逆はどうでしょうか?
演奏家が、作曲家をすることは難しいことではありません。専門の作曲家ほど時間が取れない、というハンデはあるにせよ、小さいころから技術を磨かねばならない演奏家と違い、作曲家は大人になってからもできますし、なかにはアカデミックな教育を受けない、独学の作曲家さえいます。なので、現代でも、作曲をする演奏家はたくさんいます。