ある教授が自分の門下生を依怙贔屓
30歳のラヴェルは、すでに「亡き王女のためのパヴァーヌ」「水の戯れ」「シェエラザード」「弦楽四重奏」などの作品も発表した若手の才能ある作曲家という世間の評価もありました。そして、以前には第3位相当の賞も受賞したことのある彼が、予選も通過できなかったという事実は「事件」となります。つまり、なにか「政治的な力が働いて彼は拒否された」という抗議の声が先輩・同僚の作曲家や芸術家、一般市民の中からもあがったのです。
最終的には、この事件によって、パリ音楽院の当時の院長デュボワは辞任することとなり、後任にラヴェルの恩師だったフォーレが任命されて、音楽院の改革に乗り出すことになります。ラヴェルは残念ながら、年齢制限を超え、ついに「ローマ賞 第1位」は受賞することなく、作曲家の道を歩み続けます。しかし、ここからのラヴェルは、名作を立て続けに生み出し、20世紀最初には、フランスを代表する作曲家となり、今でも彼の作品は世界中で愛され、演奏されています。
今年、大統領選を迎えるフランスは、とても「政治的」な国です。大統領が変わり、政権が交代すると、音楽院の校長から事務の職員まで交代する・・というあたかもホワイトハウスの主の交代劇のようなことが起こるのを、私も在仏時代に目の当たりにしてきました。フランスは、誰にとっても「政治」が身近な国で、そのこと自体はいいことですが、自分が当事者として、その争いなどに巻き込まれると厄介です。
ラヴェル事件・・・実際は、ある音楽院の教授が門下の生徒を依怙贔屓したいがために、実力のあるラヴェルの予選通過を阻んだ、というのが真相のようです・・でラヴェルは当然受賞してもよい栄誉を逃しましたが、この一件によって、かえって注目され、彼の実力はあらためて高く評価されることとなったのです。
本田聖嗣