メッカの方角を向き、地面に頭をつけて礼拝をおこなうイスラム教の巡礼者。そんな光景が見られるモスクから歩いて1分とかからない場所に、胸の前で十字を切るキリスト教徒が集まる教会が建つ。
別の場所に目を向ければ、ヒジャブで髪を隠したイスラム系女性と、大きく肌を露出させたスカート姿のヨーロッパ系女性が肩を並べて歩く姿が至るところに・・・。こんな珍しい光景が見られるのは、東地中海に浮かぶキプロス共和国の首都・ニコシアだ。
イスラム・キリスト共存の「モデルケースに」
ISによる世界各地でのテロ活動を受け、ドナルド・トランプ米大統領が「イスラム圏7国からの一時入国禁止」を定めた大統領令に署名した2017年1月27日。この日、J-CASTニュース記者は偶然にも、イスラムとキリストという2つの宗教の文化が混在するキプロス共和国を訪れていた。
トランプ大統領の「入国禁止令」をめぐり、米本土をはじめ世界各地で「イスラム教徒に対する弾圧・差別だ」と強い反発が巻き起こっている世界情勢の中で、イスラム教徒とキリスト教徒が同じ国の中で共存しているキプロスの在り方は目を引く。
実際、事前知識のない記者がニコシアの街を数時間歩いただけでも、モスクと教会が隣り合って建っている場所が何か所も見つかった。
記者が訪れたモスクの1つ、7世紀建造の「ハラ・スルタン・テケ」(ニコシアから車で30分ほど離れたラルカナ空港の近くにある)は、イスラム世界ではメッカを除いて上から3番目に重要な寺院だ。礼拝堂には、ムハンマドの乳母といわれる「ウム・ハラム」の亡骸が安置されている。
そこからほど近い場所にあるのが、9世紀に建造された聖ラザロス教会。こちらには、イエス・キリストが蘇生させたという聖ラザロとの言い伝えがある頭蓋骨がある。教会の地下には「聖水」が出る蛇口もあり、熱心な教徒がペットボトルに水を詰めている姿も見られた。
このように、歴史的・宗教的な価値の高い建造物が立ち並び、イスラム教徒とキリスト教徒が「共生」しているニコシア周辺。こうした街の在り方について、同国政府観光局の関係者は、
「現在のような世界情勢だからこそ、ニコシアだけでなくキプロスという国全体を、異なる宗教を信じる人々が共存できる場所のモデルケースとして、世界に発信していきたいという考えを持っています」
と話す。加えて、「多様な文化を持つ日本人にも、ぜひ興味を持って頂ければ」とも話していた。
島の南北が「分断」している
とはいえ、日本人にとってキプロスは縁の遠い場所だ。同国政府の発表によれば、2015年に日本から同国を訪れた観光客はたった611人。日本の新聞やテレビの報道でも、「キプロス」の国名に接する機会はほとんどないだろう。
いったい、キプロスとはどんな国なのか。そして、首都ニコシア周辺にはなぜ2つの異なる文化が混在しているのか。――この疑問を解くため、まずはキプロス島の歴史を簡単に振り返ってみたい。
キプロスは古くからヨーロッパと中東を結ぶ海上貿易の拠点として栄え、ローマ帝国による支配(紀元前1世紀~12世紀末)やオスマントルコ帝国による支配(16世紀~19世紀)など異なる文化圏を持つ国々に統治されてきた。島の中に歴史的・宗教的価値の高いモスクと教会の両方が数多く残っているのは、そのためだ。
そんなキプロス島は、第二次世界大戦後の1960年に国として独立。だが、1974年に起きたギリシャ系住民のクーデターをきっかけにトルコ軍が軍事介入したことで、島の南北が完全に分断された。
こうした分断状態は、現在も続いている。そのため、日本の四国の半分ほどの面積しかないキプロス島は、トルコ側が支配する「北キプロス・トルコ共和国」(トルコのみ国家承認)と、ギリシャとの結びつきが強い「キプロス共和国」の2つに分かれている。両国を分断しているのは、鉄条網などでできた「グリーン・ライン」という境界線だ。
「南北分断」の影響について、キプロス共和国の西側にある都市・パフォスに住む中年女性は1月27日、
「当時の人口の3分の1に達する20万人が、分断の影響で家を失いました。例えば、島の南側にあったトルコ人集落からは人が消え、いまも廃墟のままです」
と話していた。
「キプロスを一つに」の落書きが...
だが、キプロス島の「再統合」に向けた和平の動きは着実に進んでいる。2005年には、両国間の往来に関する規制が大幅に緩和され、双方への行き来が島内に複数ある検問所経由で可能になった。
そんな検問所の1つを、記者は訪れた。2008年4月に通行可能となったレドラ通り(ニコシア)にある検問所だ。実は、ニコシアは都市自体がグリーン・ラインによって南北に分断されている街だ。
そんな検問所を見た、記者の第一印象は「こんなものか」というものだった。事前に想像していたような物々しい雰囲気は一切なく、検問所の南北を区切っているのは簡単なポールだけ。
記者がギリシャ側からトルコ側へ抜けた際の手続きも、担当の職員にパスポートを提示し、簡単な質問に答えるだけだった。こうした対応は、空港の「入国手続き」に近い印象だ。実際、地元住民の中には反対側の学校や企業に勤めている人も多い。
とはいえ、レドラ通り上のグリーン・ラインにある50メートルほどの緩衝地帯は、都市部とは大きく雰囲気が異なっていた。辺りには「撮影禁止」の看板が至る所に張り出され、建造物は軍の施設を除いて廃墟ばかり。
そんな緩衝地帯で見つけたのが、壁に描かれた「ONE CYPRUS(キプロスを一つに)」という落書きだ。このメッセージが書かれた場所から、北側を見ればトルコの国旗があり、南側にはギリシャとキプロス共和国の国旗が掲げられていた。
キプロスの再統合をめぐっては、トルコやギリシャなどの関係国の外相が参加した国連の和平会議が、スイス・ジュネーブで17年1月に開かれたばかり。その際には合意まで至らなかったものの、現在は南北の大統領がともに再統合推進派であることから、両国の再統合へ向けた動きの進展に期待が高まっている。