40代になってから注目あびる
ともあれ、ディーリアスは、自分の中の音楽・・つまり自分の好みがドイツ的なものではなく、北欧やフランスといった他の国の音楽に近いものであることに徐々に気づき始めていました。しかし、パリでは作家や画家との交流はあったものの、当時、ドビュッシーやラヴェルが現れて輝きを増していたフランス作曲界との接触は不思議なことに、ほとんどありませんでした。
パリで、ドイツからやってきた画家、イェルカ・ローゼンと出会い、結婚することになります。母方の祖父がピアニストにして作曲家、イグナーツ・モシュレスだったイェルカは、画家としてフランスの画壇で活躍するだけでなく、言語に堪能で、文学にも造詣が深く、ディーリアスに歌曲のための詩を翻訳したり、彼のオペラ作品の舞台背景を担当したり、とパートナーとして重要な働きをすることになります。
結婚した二人は、パリを離れて、60キロほど南東に離れたグレ=シュル=ロワン村に住むことにし、第1次大戦の時、一時離れるものの、亡くなるまで、彼らはそののどかな村に暮らすことになります。名前もドイツ風のフリッツから、イギリス・フランス風のフレデリックに変え、現在は、フレデリック・ディーリアスと表記されます。
作曲家としては、世紀の変わり目のころから次第に、ドイツ、イギリスで評価されるようになり、作品が演奏されることも多くなりました。40代に入ってからやっと作曲家として注目されるようになったのです。
「春、初めてのカッコウを聞いて」は、1912年に作曲された「小管弦楽のための2つの作品」の1曲で、小さな交響詩ともいえる作品です。わかりやすくオーケストラで情景描写される聴きやすい音楽で、弦楽器の春を告げる優しいハーモニーの上に、木管楽器で鳥たちの鳴き声が重ねられます。あたかも印象派の絵を見ているような、穏やかな音楽です。
不思議なことに、あれだけ移住を繰り返し、様々な音楽を吸収し、この時期はフランスの小さな村に住んでいたディーリアスなのですが、この音楽を聴くと、遅い春を迎えるイングランドの田園風景が思い浮かびます。故郷イギリスにあまり帰らなったディーリアスの心の中の楽園の風景は、果たしてどの国の景色に似ていたのでしょうか・・・・?
本田聖嗣