ヴァレンタイン・ウィークに聞きたい名曲
リスト「愛の夢 第3番」は本当に夢だった?!

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別離の後、「愛を失いかけていた」時の作曲

   しかし、大人気だった花の都の名声を捨ててまで、逃避行をしつつ恋愛を成就したこの二人は出会ってから6年後、不仲となり、その3年後にリストが手紙を送る形で、結局別れてしまいます。そして、リストは以前にあれほど人気を獲得したパリにはもどりませんでした。なぜならパリのサロンに出入りすると、またサロンの主催者であるマリー・ダグー夫人に会ってしまうからでした。別れの決意は、堅かったわけです。リストは決してパリに近寄らないで、8年間もの演奏旅行にでます。

   実は、マリーと別れた1年後に書かれたのが、この「愛の夢 第3番」です。もともと、その2年前にフライリヒラートという詩人の詩に音楽をつけた歌曲として書かれていた作品でした。詩の内容は、どちらかというと、普遍的な人類愛や宗教的な愛を歌ったもので、男女の愛...いわゆる一般的な愛、をモチーフにしたものではありませんでした。そして、リスト自身は「愛を失いかけていた」時期の作曲なのですが、彼は歌曲をさらにピアノ独奏曲に編曲し、他の2曲とともに「3つのノットゥルノ(夜想曲)」として、まとめて数年後に出版し、自分でも演奏するとこの曲は人気となりました。今では結婚式をはじめ、愛の場面で多く耳にする、リストの代表的ピアノ曲です。

   リストはこの後、ドイツに居を構え、またそこで演奏旅行中に出会ったロシアの貴族の夫人――これまた既婚者――と恋愛関係になるのですが、それはまた別の機会のお話ということにしましょう。

   リストは、ある意味、生涯「純粋な愛」を貫いたのですが、それが結婚という形で報われることがはついになく、どことなく彼の実際の恋愛は悲劇的な色を帯びています。

   しかし、彼が想像し、創造した芸術上の「愛」は、人々の心に訴えかけるものとなって、今日も世界で演奏される名曲を生み出したのです。「愛の夢 第3番」はただ表面的にロマンチックなだけではない、非常に「大人の恋愛」を匂わせる曲なのです。

本田聖嗣

本田聖嗣プロフィール

私立麻布中学・高校卒業後、東京藝術大学器楽科ピアノ専攻を卒業。在学中にパリ国立高等音楽院ピアノ科に合格、ピアノ科・室内楽科の両方でピルミ エ・ プリを受賞して卒業し、フランス高等音楽家資格を取得。仏・伊などの数々の国際ピアノコンクールにおいて幾多の賞を受賞し、フランス及び東京を中心にソ ロ・室内楽の両面で活動を開始する。オクタヴィアレコードより発売した2枚目CDは「レコード芸術」誌にて準特選盤を獲得。演奏活動以外でも、ドラ マ・映画などの音楽の作曲・演奏を担当したり、NHK-FM「リサイタル・ノヴァ」や、インターネットクラシックラジオ「OTTAVA」のプレゼンターを 務めるほか、テレビにも多数出演している。日本演奏連盟会員。

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