このコラムがアップロードされる今週は2月14日、ヴァレンタイン・デーがある週ですね。今やすっかり日本に根付いた「女性が男性にチョコレートを贈る」というのは日本独自の習慣で、お菓子メーカーの宣伝のたまものです。食料品売り場などに特設チョコレート販売ブースが設けられて大盛況な様子を先日みかけましたが、大手チョコレートメーカーは年間の約半分の売り上げをヴァレンタインシーズンにあげるそうです。いわゆる本命チョコのほかに義理チョコに友チョコ、最近は、自分へのご褒美のチョコ...といろいろなジャンルのチョコが増えているようで、「愛の日」というより「チョコの日」になっているような気もします。
私が長く暮らしたフランスでも2月14日は聖ヴァレンティヌス、フランス語ではサン・ヴァランタンの日で、恋人同士や夫婦が花やプレゼントを贈ったり、特別なデートをしたりという「愛の確認の日」でした。どちらかというと贈り物は男性から女性へ、というパターンが多く、翌月にホワイトデーなるものがあるのも、日本独特の創作です。
今日はそんな週にふさわしいクラシックの名曲、ロマン派の作曲家、フランツ・リストの「愛の夢 第3番」を取り上げましょう。
伯爵夫人との恋におち、逃避行
もともと「ローマ風の」という意味しかなかった「ロマンティック」という言葉が作られ、次第に現代の甘美な、情熱的な、という意味を帯びるようになった19世紀「ロマン派」の時代、それはピアノの時代でもありました。ちょうど産業革命が進行し、金属の加工技術が発展したために、少しでも大きなホールでたっぷりした音を出す楽器として期待されたピアノは、鉄という素材を得てどんどん発達します。博覧会などがけん引する産業振興の時代にマッチして発展したピアノは、当然、それを奏でる専門家、プロのピアニストを必要とします。フランツ・リストは欧州の片田舎、ハンガリーに住むドイツ系貴族の出身でしたが、花の都パリに出て、まずスーパーピアニストとして、大活躍します。
パリのサロンで、若いころはたいへんな美青年だったリストが、素晴らしいテクニックでピアノをかきならすと、彼の大ファンであるご婦人方が次々と卒倒した...というエピソードがあるぐらいですから、もし当時のパリに現代の日本と同じ状況があるとしたら、リストはヴァレンタインデーにチョコレートを「トラック数台分」もらったことでしょう...。
しかし、リストが生涯で真剣に愛した女性はごくわずかでした。そして、それらはいずれも現代の尺度でいうと「不倫」だったのです。しかし、背景が現代とは違いました。1832年、リストが22歳の時にパリのサロンで出会ったマリー・ダグー伯爵夫人はリストより6歳年上で、芸術に造詣が深く、リストには理想の女性と見えたようで、猛烈なアタックを開始します。もちろん、彼女は「伯爵夫人」ですから既に結婚していました。しかし、当時の貴族階級は政略結婚が多く、必ずしも恋愛の後の結婚ではなかったからでしょうか、熱烈なラブレター攻撃から始まった美青年リストに次第に気持ちが傾き、恋愛関係になります。しかし、自由恋愛の雰囲気が漂うパリでも、当時この二人の関係はスキャンダル、と人々の目に映ったようで、二人はスイスやイタリアへ脱出します。逃避行ともいわれる転居を繰り返す中で、二人の間には、のちにワーグナーの妻となるコジマを含め、三人の子供が生まれます。リストも、スイスやイタリアの風景や歴史遺産に触発され、「巡礼の年」といった数々の名曲を残します。