霞が関から読み解く漫画版ナウシカ:ポリフォニックな喧噪を愉しむ

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統治者とシュワの墓所の主

   ナウシカが直面した未来の人間の運命を左右する問題には独特のむつかしさがある。未来の人間は現在の人間による不正の結果を一方的に受ける取ることしかできないことである。この事情を考慮すると、現在と未来の人間との間の公平性(むつかしい言葉で「世代間倫理」という)を担保するためには、主のようなシステムの支えを必要とするのである。ナウシカから主をみれば、無慈悲そのものと映るとしても、主は主でその立場を譲ることができない。譲歩は道徳的不正でさえある。

   実社会における統治者(霞が関の住人は「統治者」というほど高貴な存在ではないと思うけれども)はともすれば、シュワの墓所の主の立場に立たされることがある。もちろん、実社会においてまず問題になるのは、「その政策は本当により大きな善をもたらすものなのか」ということであり、統治者には、社会の実態を精査し、より大きな善に向かって近づく努力の余地が常にある。しかしながら、その努力を無限に積み重ねても残る問題がある。導出された最善の政策があるとしても、その最善の実現のため必須であるとしても、個の幸福を犠牲にすることができるかという問題である。

   同一世代内のことであれば、多勢を頼んで政策を執行することが可能ではあるだろう。ところが、未来のためにはなっても現在の人間には不利益をもたらす政策となると、最早多勢を頼むことすらできず、最大多数の最大幸福に基づく政策は道徳上の正当性ばかりか、現実の執行可能性までも失うに至る。シュワの墓所の主は、現在の人間のなかから代表者を選び、その代表者に説いて協力を取り付けようとした。その代表者が人類の未来のために仲間を犠牲に供してくれる可能性に賭けたのである。涙ぐましいほどの知恵を絞ったのだ。

   「私たちの生命は私たちのものだ」。

   ナウシカ(代表者)は、シュワの墓所の主の賭けを一言のもとに却下してしまう。

【霞ヶ関官僚が読む本】現役の霞ヶ関官僚幹部らが交代で「本や資料をどう読むか」「読書を仕事にどう生かすのか」などを綴るひと味変わった書評コラムです。

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