先週は珍しいチューバという楽器をソリストにした協奏曲を取り上げましたが、今日は、ヴァイオリンがソロを務める、実質「ヴァイオリン協奏曲」なのに、交響曲、と名乗る一風変わった曲を取り上げましょう。
フランスの作曲家、エドゥアール・ラロの書いた、「スペイン交響曲」です。
43歳で大失敗、作曲の意欲を失う
この曲は、実質ラロの「ヴァイオリン協奏曲 第2番」というべき曲なのですが、ラロはなぜかこの曲に「スペイン交響曲」というタイトルを付け、世に送り出しました。そして、彼自身の代表作となったのです。交響曲も、協奏曲も、クラシック曲の中では花形で、その作曲家の代表作、とされることが多いので、この曲がラロの代名詞となることには不思議はないのですが、なぜかタイトルと中身がしっくりきません。
エドゥアール・ラロは1823年フランス北部の街、リールで生まれました。ラロ家は軍人の家系で、16世紀にスペインから、戦を求めてフランドル地方に移住してきたのです。父、デジレ=ジョゼフは、1813年に退却するナポレオン軍とプロイセン=ロシア連合軍で戦われたリュッツェンの戦いで手柄を挙げたことを誇りにしているような人で、エドゥアールにリールでチェロを習わせることには同意したものの、家系から職業音楽家を出すことには猛反対しました。チェロのボウマン先生は、リールという音楽的には中心といい難い地に住んでいたものの、ウィーンでたびたびベートーヴェンのもとで演奏した、というキャリアの人でした。
先生の影響でしょうか、16歳の時、ついにエドゥアールは父に反旗を翻してパリに出ます。パリではヴァイオリンと作曲を学び、若き作曲家の登竜門である「ローマ大賞」の2等賞を24歳のときに獲得したりしますが、作曲では身を立てることができませんでした。19世紀前半、パリで人気を誇っていたジャンルはオペラで、彼もオペラ作曲を試みますが、43歳の時に発表したシラーを原作とする「フィエスク」は大失敗で、作曲の意欲を失うほどでした。彼は、室内楽のヴィオラ奏者として活躍していたので、このまま「作曲家ラロ」は誕生しないかと思われたのです。