同胞の苦難を「全体の奉仕者」たちが放置した、恥ずべき史実

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苦難の他者を視る者に問われる人間性

   もう一つの既視感に、公害特有の現象がある。地域分断、そして差別だ。

   原因不明の病気は当初、伝染病も疑われ、患者は近隣から水すら分け与えられないこともあった。著者は患者家族に「七生まで忘れんばい。水ばもらえんじゃった恨みは」とまで言わしめる。

   原因が特定されると今度は、チッソに依存する市経済が患者と家族を疎外する。環境と経済のぶつかり合いが地域を分断する例を、我々はどれだけ見てきたか。被害者へのいわれなき偏見・差別も然り。大人がこれでは子供のいじめがなくなるはずもない。研究者、学生、運動家、マスメディアなどのよそ者が多々、水俣に入ってきたことに著者は警戒感を表し、配慮なき者に反発も見せるが、この軋轢など今はむしろ悪化している印象さえある。

   それら「善意」の「遠来の客」を(いささかの皮肉を込めて)ねぎらいつつ、患者と客の埋めがたい溝を著者が抉るとき、客と似た立場の読者は粛然とさせられる。

   「身体の自由を失い、押えがたい全身痙攣のためベッドから転がり落ち、発語不能となり、咽喉を絞り唇を動かしても、末期に至るまでついに、人語を以ってその胸中を洩らすことかなわなかった人々が、ま新しい病室の壁を爪でかきむしり、<犬吠えようの>おめき声を発していたそのこころ」を、著者は代弁する。だからである。重ねていう、粛然とさせられるのである。

「あん頃の海の色の、何ちいえばよかろ、思い出しても気色の悪か。ようもあげんした海になるまで、漁に出てゆきよったばい。何かこう、どろっとした海になっとった...。いったい、あん頃、何ば会社は作りおったっですか。どべのゆたゆたしとる海ば、かきわけてゆくと舟もどべで重かりよったです。」

   水俣湾は20世紀のうちに県知事の安全宣言が出され、今は普通に海の恵みを口にできる。遅きに失したとはいえ、浄化の努力にだけは、この社会の美点が顕れていると信じたい。

酔漢(経済官庁・Ⅰ種)

【霞ヶ関官僚が読む本】現役の霞ヶ関官僚幹部らが交代で「本や資料をどう読むか」「読書を仕事にどう生かすのか」などを綴るひと味変わった書評コラムです。

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