住宅過剰社会からの脱却には住宅の公共性意識が必要
昨年閣議決定された「住生活基本計画」では、「(利用予定のない)空き家318万戸(2013年)→400万戸程度(2025年)」とする目標が掲げられた。人口減少が進んでいる状況を考えれば、本来は増加度合を抑制するのではなく、絶対数を減らす目標であるべきとも思えるが、遅ればせながら空き家対策に関する目標がセットされた意義は大きい。
また、2014年には、「コンパクト+ネットワーク」を基本コンセプトに、居住誘導区域などを設定し、公共交通とのネットワークを考慮する仕組みとして、「立地適正化計画」が制度化された。
著者自身も、こうした変化を「これまで地価が安く規制が緩い郊外部に向いていた住宅の開発が、将来にわたり居住を誘導すべき区域の未利用地や空き家のある土地へと向かう可能性を生み出した」と一定の評価をしている。
人口が減りつつあるという現実を踏まえれば、住宅の総量が減っていくこと、そして、居住地もコンパクトになっていくことは避けられない現実であろう。政策的には、わずかな一歩であろうが、人口減少社会における新しい都市計画や住宅政策へと本格的な展開が望まれる。
本書において、著者は、「住宅総量と居住地面積をこれ以上増やさない」、「今ある住宅・居住地の再生や更新を重視する」など、住宅過剰社会からの脱却するための7つの方策を提言している。
いずれも、もっともな提言だと思えるが、これらを現実の政策へと展開するためには、何よりもまず、住宅を普通の私有財産としての位置づけから、もっと公共的な財だという意識へと転換することが必要ではないかと思う。
これまでのように、住宅は職業人生をかけて稼いだ財産を投じて手に入れるものだという認識が変わらないとすると、なかなか意識の転換は難しいであろう。しかし、今後、住宅過剰時代が到来すれば、価格も下がり、持ち家ではなく、賃貸がアタリマエという意識も広がってくるのではないだろうか。
こうした状況の変化の中で、住宅の供給側にも需要側にも、それぞれ住宅の公共性に関する意識が共有され、住宅の立地などに関する公的コントロールへの抵抗感が減り、著者の提言の実現性が高まることを期待したい。
JOJO(厚生労働省)