クラシック音楽や古典派といったジャンルや時代を超えて愛されているヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは、1756年の1月27日に大司教領だったザルツブルクに生まれています。昨年が生誕260年でしたが、生誕250年にあたっていた2006年には世界的にモーツァルトブームが起きたぐらい、今でも彼の音楽は人々に愛されています。
天才にも長く厳しい修行期間があった
彼が「天才少年」だったというのは有名なエピソードです。5、6歳のころから、父親と姉とヨーロッパの宮廷を回り、王侯貴族の御前で子供とは思えぬ演奏を披露し、時には目隠しをしてチェンバロを弾き、たくさんの褒美を下賜された・・というようなイメージが広くいきわたっており、映画などでもたびたびそういったシーンが描かれています。
そのイメージが強烈なため、長じてからオペラ、交響曲、室内楽、独奏曲、宗教曲、歌曲、とほぼすべてのジャンルで傑作を量産し続け、若くして亡くなったモーツァルトは、「天才」と形容されますが、果たして、天才少年はそのまま完成された天才になったのでしょうか?
確かに、少年モーツァルトは3歳から楽器をいじり始め、音に対する鋭い感覚と感受性を発揮していたので、父レオポルドは彼の才能を早くから信じていたようです。しかし、父を超え、ヨーロッパ中に名前の響く超一流の作曲家が誕生するまでには、やはり長くて厳しい修業期間があったのです。
今日ご紹介したいのは、モーツァルトの「ピアノ協奏曲」とされている作品の第1番から第4番までです。それぞれモーツァルトの作品番号とされているケッヘル番号では、K.37、39、40、41の番号を持っており、同時期に書かれたものということがわかりますが、これらの作品は1767年、すなわちモーツァルトはまだ若干11歳の時の作品です。