アメリカで初演するも、予期せぬ悲劇が
もともと人気のあるピアノ組曲の音楽を全面的に転用したオペラ作品ですから、上演されれば成功は間違いなし・・のはずだったのですが、1914年からヨーロッパは第1次大戦に突入しており、グラナドスのオペラ作品を初演してくれる劇場はありませんでした。そのかわり海の向こう、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場が手を挙げて、初演はアメリカで1916年初頭に行われることになりました。
スペインを代表する作曲家として夫人とともに招待され海を渡ったグラナドスは、オペラ「ゴィエスカス」初演に臨んだ後、当時のアメリカ大統領、ウッドロー・ウィルソンに特別に望まれて、ホワイトハウスでピアノリサイタルを開く栄誉があたえられました。しかし、これが運命の分かれ目だったのです。演奏会のため、当初帰路乗船するはずだったスペイン直行便には乗れず、便を遅らせて当時フランスの船だったサセックス号に乗り込んで欧州に向かいましたが、イギリスを経由した後、到着直前の英仏海峡でドイツのUボートの雷撃にあい、船は沈没しなかったものの、グラナドス夫妻は波間にその生涯を終えたのです。
言い伝えによると、グラナドス自身は船の上で無事でしたが、船体から投げ出されたらしい夫人の姿を海中に見ると、躊躇せず海に飛び込み、帰らぬ人となった・・とも言われています。アメリカ大統領は間接的ですがクラシックの音楽史を変えてしまったのです。
ピアノ組曲「ゴィエスカス」の4曲目、「嘆き、またはマハと夜鳴きウグイス」は全曲の中でも特にロマンティックで「泣かせる旋律」にあふれています。最後にはナイチンゲールの鳴き声を模したパッセージも出てくるこの曲は、グラナドスの悲劇的な死を悲しむかのような、心に沁みる名曲となっています。
本田聖嗣