■『敗戦日記』(高見順著、中公文庫)
われは草なり
伸びんとす
伸びられるとき
伸びんとす ・・・・・・・・・
国語の教科書でなじみが深い、高見順作の口語詩「われは草なり」の一節である。高見順は1907年生まれの昭和期を代表する小説家であり、プロレスラーで前文部科学大臣の馳浩衆議院議員の義父(馳議員の奥さんは、高見の娘で女優・エッセイストの高見恭子さん)にあたる。
絶望的な状況下での無関心
そもそも高見順の名を知る若い人は少ないと思うが、さらに、この詩が、彼の日記の一節に記されたものであることを知るひとは殆どいないであろう。本著はその日記のうち、敗戦前後の1年間(昭和20年1月から12月)の部分を書籍化したものであり、敗戦間近という極限的な状況において、追いつめられた国民の状況が克明に記されている。
戦中の日記といえば、「飢え」「死への恐怖」「戦災の惨状」が記載の中心となることが想像されるが、私の目を引いたのは、絶望的な状況下における大衆の無関心・アパシーである。
ドイツがついに敗れたが、来るべき日が来たという感じで、誰も別にこの大事件を、口にしない。大事件として扱わない。考えてみると不思議だ。(5月9日)
電車に乗って帰った。車中でも歩廊でも、人々は皆平静である。真に平静なのか。それとも、どうとでもなれといった自棄なのか。戦争の成行きについて多少とも絶望的なのは確かだ。ソ連の戦線について誰ひとり話をしている者はない。憤激している者はない。(8月10日)
新聞売場ではどこもえんえんたる行列だ。その行列自体は何か昂奮を示していたが、昂奮した言動を示す者は一人もいない。黙々としている。兵隊や将校も、黙々として新聞を買っている。(8月15日)
東日本大震災のとき、被災者の方が、整然と並んで配給を受ける姿が世界の感動を呼んだことは記憶に新しい。古くから天変地異に晒されてきた風土を持つ私たちには惨事に対する高い受容力があるのだと評者は考えている。ただし、この資質は、悪く転べば大勢への盲目的な順応や、シニカリズムの蔓延にも通底しうることも、この条は示している。