師の娘との結婚を断るも...
しかし「若者はお金がない」のは今も昔も変わらない相場で、ドイツ中部チューリンゲンの森北部にあるアルンシュタットから北部バルト海に面したリューベックまでは400キロも距離があるのですが、バッハはなんと徒歩で北を目指します。途中で空腹で倒れそうになりながらもリューベックに到達したバッハは、噂にたがわぬブクステフーデの素晴らしい演奏を聴き、感激します。実は、ここで、バッハも演奏し、腕を認めたブクステフーデから、リューベックが務める聖マリア教会オルガニストの後任にならないか・・・と持ちかけられたのですが、それには「ブクステフーデの30歳の娘と結婚すること」という条件が付いていたので、バッハは丁重に辞退します。10歳年上のお嫁さんをもらう条件と抱き合わせのポストは、バッハといえども承諾しかねたのでしょう。
4週間のはずが、気が付いたら3か月もの長期休暇になってしまい、バッハは戻ったアルンシュタットでひどく非難されます。無断で休暇を大幅延長した、ということと、彼がリューベックから帰ってきたら、オルガンの演奏がどえらく斬新なものになってしまい、保守的なアルンシュタットの人たちが驚いてしまったからです。それだけ、ブクステフーデの演奏は、バッハに衝撃を与え、彼は、その体験から新たな音楽を生み出す力が湧いてきたのです。
この時期に作曲された1曲が、オルガン曲「トッカータとフーガ ニ短調」です。冒頭のトッカータの出だし部分が、現代でもサスペンスドラマやCM、さらには替え歌となって日本でも親しまれているこの曲は、バッハの時代以降すべての人を魅了し、ブゾーニなどによるピアノ編曲版も頻繁に演奏されています。
「成人」になったばかりのJ.S.バッハの20歳のみずみずしい感性が、偉大な先人の演奏にインスパイアされて生み出した曲は、クラシック音楽史に残る名曲となったのです。
本田聖嗣