ラテン語でなくドイツ語で歌ったのがよかった
史実ですから、ある程度本当なのですが、オーストリアの一寒村に過ぎない教会で、ハプニング的に作られたキャロルが、全世界のクリスマスナンバーになるには、あまりにも出来すぎている話のようにも思えます。
背景には、クラシック音楽の母体となった教会音楽・・これらは、ラテン語で歌われていた、という背景がまずあります。現在でもミサ曲やカンタータでラテン語のものは多くありますが、地元の言葉であるドイツ語を使った、というのが「きよしこの夜」の成功要素の一つだったようです。難解であるが、有難そうな教会音楽ではなく、非常にシンプルで、わかりやすくて、そしてメロディーが綺麗・・・人々はクリスマスにそういった音楽を求めていたのです。
その後、近郊の村まで広がった「きよしこの夜」は、これらオーストリアの片田舎の人々に、「この歌を広めよう」という情熱が芽生えさせ、上記の職人の子供たちのみならず、大人たちも交じって、「きよしこの夜アンサンブル」的なものがあちこちで組織され、国を出て、まずはドイツ語圏、そして、遠くアメリカまで、この歌を歌って知らしめた多くの人たちの尽力があったのです。
音楽は人の心を動かす、とよく言いますが、「きよしこの夜」の世界への広がりを改めて検証してみると、本当に「音楽に動かされた人々」の姿が見えるような気がします。
今年も、世界中のクリスマスで、この歌が聴かれることでしょう。
そして、今年も、この曲に動かされる我々がいるはずです。
本田聖嗣