「彼が生きたことを忘れない」
記念碑設置の動きがあるのは元京大生の山﨑博昭(1948~67)だ。佐藤栄作首相のベトナムなど歴訪を阻止しようとした67年10月8日の羽田事件で死去、18歳だった。学生と警官隊の衝突で学生が死んだのは樺美智子以来。国際的にベトナム戦争への批判が高まっていた時期でもあり、その後の反戦・全共闘運動にも多大な影響を与えた。
来年50周年になるということで、ゆかりの人々が「10・8山﨑博昭プロジェクト」を立ち上げている。「追悼するためのモニュメントの建立」「この50年を振り返る記念誌の刊行」が二本柱だ。「私たちは彼が生きたことを忘れない」と訴える。
発起人には府立大手前高校の同窓生として作家の三田誠広や下重暁子、詩人の佐々木幹郎。京都大同窓生として社会学者の上野千鶴子、哲学者の鷲田清一ら多彩な顔ぶれが並ぶ。このほか歌人の福島泰樹や道浦母都子、作家の高橋源一郎など。長い沈黙を破って昨年、『私の1960年代』(金曜日刊)を出版した元東大全共闘議長の山本義隆は大手前高校の先輩でもあり、このプロジェクトに積極的に関わって講演などもしている。
すでに約570人の賛同人が集まっているが、その中には長年沈黙を続ける元日大全共闘議長、秋田明大の名もある。肩書は「自動車修理工」となっている。
賛同人名簿は約7割が実名。大手前高校-京大という山﨑の学歴もあるのか、医師、弁護士、大学教員など、社会的地位の高い人が目立つ。中には昔日の「○○大学全共闘」や「○○事件被告」の経歴を載せている人も少なくない。大半がいまや60代半ばを過ぎたシルバー世代のはずだが、意気軒昂ぶりと、当時のネットワークのしぶとさを垣間見せている。