唐牛健太郎、奥浩平、山﨑博昭・・・ 伝説の学生運動家に再び光、評伝や著書復刻

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   唐牛健太郎、奥浩平、山﨑博昭。この3人の名を聞いてすぐにピンとくる人は、今では公安関係者か、それとも・・・。

    戦後学生運動史に名を残した伝説の活動家たちに、改めてスポットが当たっている。評伝が出たり、著書が復刊されたり。追悼モニュメントをつくる動きもある。(敬称略)

  • 『唐牛伝 敗者の戦後漂流』(佐野眞一著、小学館)
    『唐牛伝 敗者の戦後漂流』(佐野眞一著、小学館)
  • 『奥浩平 青春の墓標』(レッド・アーカイヴズ刊行会編、社会評論社)
    『奥浩平 青春の墓標』(レッド・アーカイヴズ刊行会編、社会評論社)
  • 『唐牛伝 敗者の戦後漂流』(佐野眞一著、小学館)
  • 『奥浩平 青春の墓標』(レッド・アーカイヴズ刊行会編、社会評論社)

ヒーローなのか、単なる酔っ払いか

   唐牛は60年安保全学連のリーダー。7月に刊行された『唐牛伝 敗者の戦後漂流』(佐野眞一著、小学館)はその評伝だ。橋下徹・大阪市長(当時)に関する記事が問題になり、しばらく「蟄居」を強いられていた著者の、復帰第一作だ。

   1937年、唐牛は函館に生まれた。北大教養学部の自治会委員長となり、ブント(共産主義者同盟)に。59年、全学連委員長に担ぎ上げられ、60年安保闘争を指導した。その後は、右翼の田中清玄の世話になった時期も。ヨットクラブ、居酒屋経営、漁船乗組員、工事現場監督などをしながら全国を転々とし84年、直腸がんのため死去した。

   破天荒な人生。「石原裕次郎よりかっこいい」と言われた風貌。きっぷがよく男気があったという。闘争に敗れた唐牛は「無頼」「放浪」の道を選んだ。著者はその波乱に満ちた生き方を丹念な取材で改めて掘り起こす。アマゾンの評価は「3.7」。唐牛はカリスマ的なヒーローなのか、単なる酔っ払いなのか。好き嫌いが極端に分かれている。

   60年安保ではもう一人、伝説になった活動家がいた。6月15日、国会前の混乱の中で命を落とした東大生の樺美智子、22歳だった。ロングセラーになった『人しれず微笑まん―樺美智子遺稿集』はすでに2011年、新泉社から復刻されている。

   奥浩平(1943~65)をめぐる動きも活発だ。都立青山高校在学中から学生運動に参加。横浜市大に進むが、運動は低迷期。恋人とはセクトが分かれ、疎遠に。闘争で負傷した奥は自殺する。21歳だった。文藝春秋から出版された遺稿集『青春の墓標』は広く読まれた。劇作家のつかこうへい(1948~2010)のペンネームは、奥の名から借用したという。

   昨年、社会評論社から『奥浩平 青春の墓標』が出た。第1部は文藝春秋版の復刻。第2部に同時代の人たちの座談会、さらに過去に奥浩平について語られた論評なども集めて再録した。今年10月には同社から『近過去(near past) 奥浩平への手紙』(川口顕著)も出版された。

   自殺した活動家の日記では、立命館大生・高野悦子(1949~69)の『二十歳の原点』が有名だ。3部作で350万部も売れた。こちらは09年に新装版が東京の出版社「カンゼン」から出ている。

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