ふたつの世界あるいはひとつの世界?
ところで、『病院ビジネスの闇』などが描いた世界は、『日本の最貧困地域』が描く世界とは随分趣を異にしていることに、読者は気がつかないだろうか。NHK取材班は、孤立した丸裸の個人が、悪徳業者の餌食になる姿を克明に追っている。一方、鈴木氏が書くのは、分厚い社会関係資本の存在を前提に、その資本の担い手の間の関係に信頼を回復することで、地域を再生に導こうとする奮闘の記録である。同じく貧困を扱った著作であるにも関わらず、こうした違いが生まれるのは、なぜだろう。
第一の仮説は、あいりん地区は特殊な例だとするものである。あいりん地区は日雇い労働者の町として発達してきた歴史があり、関連する支援団体などが蓄積されている。こうした地域に密着した活動の主体はどの地域にもあるものとは限らない。第二の仮説は、貧困地域で一見活動的にみえる社会関係資本も、個々の困窮者へと手を差し伸べる力を十分には持たず、実際には多数の者が貧困ビジネスのもとへ奪われているという説である。
どちらの仮説がより真実に近いのか、評者に決定するだけの一次情報があるわけではない。ただ、ありそうな現実は、どちらの仮説もある程度妥当するというものではないか。稠密な社会関係資本によって守られている困窮者がいれば、そのネットワークから零れ落ちる者もいるのだろう。地域によって、その相互の割合はまちまちなのであろう。そして、同じ個人であっても状況次第で、救われたり、救われなかったりするのであろう。
とすれば、貧困問題への対応にあたってとるべき施策として、「直接民主主義」とパノプティコンは二者択一の関係にあるというよりも、適切に組み合わせるべき、ふたつのモデルとなる。社会関係資本を媒介とする「直接民主主義」と、監視者を社会が監視するというパノプティコンの基本的発想は、案外近しい関係にあるとみることができそうだ。ベンサムの考えたパノプティコンは民営を想定しており、行政による一極的統制を目指したものではないことも、「直接民主主義」との相性を高める。支援をいたずらに複雑化することは避けたいところだが、同時に、支援体制を構築するに際しては、各々のモデルの特性を踏まえた複合的な取り組みが必要になるだろう。
追記
以前、評者は『障害福祉論議を開かれた、理に適ったものにする社会的基盤とは』で、障害福祉において「安い工賃で障害者の方々を漫然と囲いつづける状態に施設が安住してしまう仕組みがあるというのだ」と書いたことがある(2016年10月13日)。その後、日本財団会長の笹川氏が、「現行では就労支援事業の指定を受けた事業者には、障害者一人当たり14万円~16万円の基本報酬が、事業に伴う利益の有無や予算と関係なく給付される。(中略)これでは(中略)障害者の支援よりも、事業者の報酬確保が優先される結果になりかねない」(2016年10月28日:産経新聞)と、評者の指摘と響きあう主張を披露している。読者の関心の度合いに応じ、参照していただきたい。
経済官庁(課長級) Repugnant Conclusion