カフカ的世界の現前として読む
『病院ビジネスの闇』(2010年)、『生活保護3兆円の衝撃』(2012年)で描写されているのは、いったん捕えられると、大した病気がないのにも関わらず入院させられ、病院間をたらいまわしにされ、時には不適切な手術によって命を落とす生活保護受給者の姿である。狭小で不衛生な住居に取り込まれ、わずかな食事と手持ち金以外のすべての生活保護費を業者に押えられる生活である。一度入り込むと、ただちに命を奪われることはないとしても、じわじわと自由を奪われ、二度と抜け出すことができないこの世界は、カフカの世界を思い起こさせるに十分である。貧困ビジネスに対しては、両書の元になった報道がその形成に与った世論の高まりを受け、指定医療機関への指導権限の強化など一定の対策が取られてはいるが、その後、実態は改善されているのだろうか。
このような事例をみるにつけ、社会的弱者への支援においては、単にお金を渡すだけでは不十分であり、その者の生活を包括的に支えるタイプの支援が必要だと感ずる。評者は『パノプティコン(全展望監視システム)で生きることは、本当にまずいことなのか』(2016年9月1日)で、今後趨勢的に、より個人をターゲットにした政策的介入を通じて生活保障が行われていく見通しを論じたことがある。そのひな形である、ベンサムの提唱した「パノプティコン」では、監視者が収容者を視るだけはなく、監視者が社会から視られることの重要性が説かれていることを指摘した。貧困ビジネスは、いわば社会から視られることのない偽りのパノプティコンであり、これを社会的監視の下に服する、正しきパノプティコンに変える必要がある。