カンボジア・シェムリアップの「アンコール・ワット」といえば、「アンコール遺跡」の1つとして世界遺産にも登録されるヒンドゥ―教寺院だ。
意匠を凝らしたレリーフや塔の上の朝焼けなど有名スポットは数あれど、400年前に当地を訪れた日本人の「落書き」が残されていることは、意外に知られていない。今回記者が、少し変わったアンコール・ワットの楽しみ方を紹介する。
「祇園精舎」を目指して数千里の旅路
アンコール・ワットを正面から眺めると、その広大さに驚かされる。現地ガイドいわく、全部をくまなく見るのは「3日あっても難しい」。
そんなアンコール・ワットの入り口近くに位置し、東西南北の回廊が交わる「十字回廊」の柱に「落書き」はある。
書かれた後に墨で黒く塗りつぶされているため読みづらいが、日付は寛永9(1632)年正月。書き手は、森本右近太夫一房(もりもとうこんだゆうかずふさ)という日本人だ。江戸時代の記録によると、父・儀太夫(ぎだゆう)は加藤清正の家臣だったようだが、一房本人の生涯ははっきりしていない。
「一房は祇園精舎を目指し、たどり着いたのがここアンコール・ワットだったのです」
ガイドはこう説明する。祇園精舎はインド中部にある仏教寺院で、釈迦が説法を行った場所として知られる。つまり、一房はとんだ「勘違い」をしていたというわけだ。
「落書き」にはその他、ここへ至るまで数千里の海路を旅してきたこと、父母の幸福を願って4体の仏像を奉納したことが記されているという。朱印船貿易の盛り上がりで、東南アジア各地に日本人町が生まれたこの時代。一房の長い旅路に思いを馳せながら、「落書き」を眺めるのもまた面白いだろう。