流行の「運動」に乗せられて漂流するか、信念を貫くか
天皇機関説が激しく論難され、美濃部達吉が東京帝国大学を去ったのは昭和10年であったことを思い起こせば、終戦時まで帝大教授であり続けた著者が、本心はどうあれ、軍部の台頭にどう応対したかが想像させられる。編者川島教授が大戦中の記述を敢えて収録しなかった所以も窺われるところだ。
戦後、末弘教授はGHQの教職追放を受ける(昭和21年10月。但し26年9月解除。同年没後、正三位勲一等に叙せられる)。これほどの自由主義者にして、なお時流に順応した咎を受ける歴史の厳しさを視る思いである。
そう考えた上で現代日本の論壇を拝見するに、実に複雑な感情を抱かされる。
平和安全法制の議論において、憲法解釈の変遷を痛烈に批判していた憲法学者の中に、過去の著作で解釈変更を容認していた者がある。学者としての良識を疑わせる。今後も主張を変えていくのであろうか。
同様に、学生運動華やかなりし時代に口角泡を飛ばして勇名を馳せた年配者が、転向して今や仔細らしくネット右翼的なことを口走って見せるのも、見ていて愉快なものではない。
激烈な圧力下の戦中と異なり、言論の自由が徹底して保護される現代に、なぜ敢えて変節するか。戦前日本の姿から汲み取るべきは、往時と現代を同一視して、軍国主義の復活反対!などと声高に叫ぶことではあるまい。はやり病のような「運動」の浮つきこそが最も恐るべき陥穽と自戒し、静かに一つ一つの事実を詳らかにして自らの考えを熟成させることが必要だと痛感する。それが変節や転向を防ぎ、ひいては厳しい状況にあっても信念を貫く胆力を形成する唯一の方法ではないだろうか。
苦心して推敲を重ねたであろう先人の文章の行間を読むにつけ、そう思えてならない。
酔漢(経済官庁・Ⅰ種)