時代の圧力にどう向き合ったか
編者川島武宜は、このエセー集を上下巻に分け、上巻はより一般的な議論を集め、下巻は少々専門的な議論を並べている。それぞれ大正時代のものから、「言論がきびしく統制されるに至った一九四一年末までのもの」(本書解題)まで時代順になっている。
この編集方針からすれば、一般の方々であれば上巻のみお読み頂けば、法律の何たるかをある程度イメージできるであろうし、だからこそ今に至るまで本書が読み継がれているのだろう。
だが評者は、この方針は思わぬ効果を生んだと受け止めている。
すなわち下巻にあっては、時代を大正10年~昭和2年、昭和3年~昭和6年、昭和7年~昭和15年に三分して編集されている。
最初の区分は大正デモクラシーの時代と言え、自由闊達な議論が展開されている。著者は法律を裁判規範と位置付け、国民生活は法律ではなく常識で規律されるという市民社会論に立脚した議論を展開する。確信的な自由主義者というべきだろう。
しかし第二区分の始まる昭和3年は、国内にあっては共産党一斉検挙があり、大陸では張作霖爆殺事件があった年だ。大正デモクラシーの終焉と中国での工作が暗い影を落としつつある時代と見えて、この頃の著者の議論は、自由主義的な議論を展開しつつも、その筆は慎重さを伴うように感じられる。
第三区分の昭和7年以降の著作は、その慎重さが更に増す。そして下巻末尾の「時事雑感」(昭和15年)に至って、著者は「戦争も...長続きしてくると...好ましからざる現象の発生を見る」「民間に段々と批評的意見が多くなる、為政者を非難し誹謗する声が喧しくなる...その結果、人民の為政者に対する信頼が段々と傷つけられる」「右のごとき現象が起こるにつれて、為政者が段々と自信を失って弱気になる」として、為政者の戦争遂行への決意を促すのである。