■「嘘の効用」(末弘厳太郎著・川島武宜編)
戦前・戦中の東京帝国大学の法律学者であった末弘厳太郎(すえひろ・いずたろう)は、軽妙なエセーで人々に親しまれていたという。
その弟子にあたる川島武宜が恩師のエセーを整理して発刊したのが本書である。上下巻で50数本の章立てであり、一本一本のエセーは短く読み易い。表題作の他、「役人の頭」「役人学三則」など霞が関の住民には興味深いもの、「戒厳令とミリタリズム」「軍法会議廃止論」など昨今の時流からも参考となるものが散見される。
法律の杓子定規な運用と大人の「嘘」
表題作の「嘘の効用」は、法律の杓子定規な運用で裁判が市民感情から外れることのないよう、事実を「嘘」によって変更して柔軟に裁判しうることを説明するものだ。
その説明のために、ローマ法や大岡裁きなど、古今東西の事例を紹介するあたり学者の面目躍如といったところ。嬰児殺しはローマ時代も犯罪だったが、畸形児にあっては「嬰児ではない」としてこれを殺した母親を救済した、などという話は当時の知恵として特に印象深い。
評者はここで八百屋お七の物語を思い出す。歌舞伎・浄瑠璃・落語に用いられる周知の題材でバリエーションは様々あるようだが、嘘と言えばこの筋書きだろう。
恋人逢いたさに火付けをしたお七は、十五歳未満であれば火あぶりを免れる。そこで奉行が「お七、そちは十四であろう」と幾度も謎をかける。だが、お七は正直に十六と答えつづけ、遂に火あぶりに処せられるという人情噺である。
少年法を楯に悪事を働く小癪な十代とのギャップは嘆かわしいがそれは別論。とかく嘘が許されぬ窮屈な世の中だが、成熟した大人の「嘘」に、時にこうした情緒があるのも一つの真実だ。これこそ智慧というものだろう。