ヨーロッパの国の中では、島国であり、雨が比較的多い天気で、英語が公用語で、日本人にとってもなじみやすい国、イギリス。フランスと同じように、ロマン派の時代はドイツ・オーストリアに対し劣勢でしたが、近代になってから素晴らしい作曲家を輩出しています。
今日はそのうちの一人、ジェラルド・フィンジの歌曲集を取り上げましょう。
近年、再評価が進んでいるフィンジ
現在はEU離脱のニュースに揺れるイギリスですが、クラシック音楽においては、イタリア・ドイツ語圏に大きく水をあけられているだけでなく、フランスと比較しても音楽史的には有名作曲家の少なさが指摘されるイギリスですが、近年再評価が進んでいます。フィンジもそんな一人です。
ジェラルド・ラファエル・フィンジは、1901年7月14日に裕福な船舶仲介業者の息子として、ロンドンに生まれます。父はイタリア系、母はドイツ系のユダヤの家系でしたが、本人はあまり意識することがなかったようです。19世紀末から20世紀前半にかけての激動の時代、音楽的・芸術的な才能を持ったユダヤ系の人たちが、主にヨーロッパの東から西へ、または海を渡ってアメリカへと移動しましたが、フィンジの両親は音楽には一切関係のない生活でした。そんなフィンジですが、父親を彼がまだ8歳の時に亡くします。一家はハロゲイトに移り、そこの教会で、音楽教育を受け始めます。彼を指導した作曲家にして鍵盤楽器奏者、エルネスト・ファーラーによると、フィンジは「とても詩的情緒にあふれているが、恐ろしくシャイな子供」だったそうです。時はあたかも第1次大戦中、ファーラーは西部戦線に出征して銃弾に倒れます。同時にフィンジは、兄弟も失いました。身近な人の死に次々に向き合うこととなったフィンジは、もともとシャイな子供でしたが、ますます、内向的になります。