第1次大戦で片手を失ったピアニストのために書いた名曲、ラヴェルの「左手のためのピアノ協奏曲」

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依頼者が勝手に改変して演奏

   ラヴェルはそれらの作品ももちろん念頭に置いた上に、作曲に取り掛かりました。出来上がった作品は3つの部分に分けられるものの、間を置かずに演奏される見かけ上「単一楽章」の作品となりました。重々しいピアノソロが展開される最初の部分と、同時に手掛けられていた「ピアノ協奏曲 ト長調」を思わせるジャズ的な中間部、そして、左手だけでは演奏不可能に思える華麗なるソロ・パート(カデンツァ)を備える終盤、というスタンダードな構成で、18分ほどの堂々たる協奏曲となりました。

   実はヴィトゲンシュタインは、「左手のためのピアノ作品」を当時の大作曲家に数多く依頼していて、ラヴェルを筆頭に、イギリスのベンジャミン・ブリテン、ドイツのフランツ・シュミット、リヒャルト・シュトラウス、オーストリアのエーリッヒ・コルンゴルト、ロシアのセルゲイ・プロコフィエフなどに声をかけていました。このうち、プロコフィエフがピアノ協奏曲第4番、ラヴェルがこの作品で「協奏曲」の依頼に応えたのですが、肝心の依頼者であるヴィトゲンシュタインがプロコフィエフの作品は「理解不能」と却下したため、一時お蔵入りに近くなってしまい、ラヴェルの作品も、難しすぎると勝手に改変したりして初演すると、作曲者ラヴェルと険悪な雰囲気になりました。

   しかし、後にパリで別のピアニストによってオリジナルのまま演奏されると、ラヴェルの円熟期のこの「左手のための協奏曲」は人気曲となり、現在でも、世界でもっともよく演奏される左手のための作品となっています。変わった依頼にも真面目に応えたラヴェルの努力は、正当に評価されたのです。ヴィトゲンシュタインも、後に、勝手に改変したことを後悔し、ラヴェル作品の素晴らしさを称賛したコメントを残しています。

本田聖嗣

本田聖嗣プロフィール

私立麻布中学・高校卒業後、東京藝術大学器楽科ピアノ専攻を卒業。在学中にパリ国立高等音楽院ピアノ科に合格、ピアノ科・室内楽科の両方でピルミ エ・ プリを受賞して卒業し、フランス高等音楽家資格を取得。仏・伊などの数々の国際ピアノコンクールにおいて幾多の賞を受賞し、フランス及び東京を中心にソ ロ・室内楽の両面で活動を開始する。オクタヴィアレコードより発売した2枚目CDは「レコード芸術」誌にて準特選盤を獲得。演奏活動以外でも、ドラ マ・映画などの音楽の作曲・演奏を担当したり、NHK-FM「リサイタル・ノヴァ」や、インターネットクラシックラジオ「OTTAVA」のプレゼンターを 務めるほか、テレビにも多数出演している。日本演奏連盟会員。

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