クープラン「クラヴサン組曲」を意識した構成
ラヴェルは戦争で数多くの友人を亡くしました。同時に戦場の現実を自分の目で見て、ある作品に着手します。戦時中に書かれたそのピアノ曲の名前は「クープランの墓」。フレンチバロックの作曲家ファミリーの名前を借りたこの曲集は、前奏曲、フーガ、フォルラーヌ、リゴードン、メヌエット、トッカータという6曲からなり、フランソワ・クープランの「クラヴサン組曲」を意識した構成になっています。1曲1曲はそれぞれ戦場で命を落した友人たちに捧げられています。難曲である最終曲トッカータは、音楽学者だったジョセフ・ド・マルリアーヴ大尉に捧げられており、初演は戦後の1919年に、マルリアーヴの妻、つまり戦争未亡人となったフランスを代表するピアニスト、マルグリット・ロンの手によって、パリで行われました。
19世紀末から興隆を見せたフランス文化が、第1次世界大戦と共に失われていく悲しみを、ラヴェルは感じたのでしょう。各曲は友人に捧げられ、全体としてはフランス音楽に捧げられた音楽は、題名の通り、「墓標」だったのかもしれません。第1次大戦の天文学的な賠償費が、その後のドイツ社会の不安をあおり、さらに大規模な第2次世界大戦の遠因となったことは現在では知られていますが、再び平和が失われ、芸術が失われるというそんな未来も、ラヴェルはひょっとして見通していたのかもしれません。ラヴェルは第1次大戦後も亡くなる1937年まで作曲を続けますが、病気のせいもあって作曲のペースは大幅に落ちていますし、そのころになるとフランスの次世代の作曲家の台頭や、戦争を機に関係がさらに欧州と深まったアメリカからやって来た「ジャズ」など新しい音楽の影響もあり、ラヴェルは時代の寵児ではなくなります。
先人の文化に敬意を払いつつ、新しい創作を重ねたラヴェルにとって、「クープランの墓」は、いろいろな意味が込められた「オマージュ」の作品なのです。実は、フランス語の原題、「ル・トンボー・ド・クープラン」の「トンボー」は、墓、という1番目の意味の他に、故人を偲んで捧げる、という意味もあるのです。
本田聖嗣