パノプティコン(全展望監視システム)で生きることは、本当にまずいことなのか

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ベンサムが考えたパノプティコンとは

ベンサムによるパノプティコンの構想図。円周部のセルに収容者が入り、中心点に監視者を配置
ベンサムによるパノプティコンの構想図。円周部のセルに収容者が入り、中心点に監視者を配置

   ここで時代を大きくさかのぼることをお許しいただきたい。格差を伴う貧困なるものは、それこそ文明の黎明期からの問題であるが、近代の社会保障につながる動きが早くから現れたのが英国である。『Panopticon』(1787年)は、その英国で、産業革命を通じた貧困問題の激化のなか、エリザベス救貧法(1601年)以来の救貧制度の改正論議において、功利主義の始祖として知られるベンサムから示された制度改正案の一部である。

   児玉聡氏(京都大学)の『功利主義の福祉制度論』(2005年)によると、ベンサムは、全国慈善会社を設置し、そのもとに勤労院を全国に設置することを提案した。全国慈善会社は共同出資者による出資金と国庫補助金により経営され、収容者の労働により採算を取ることが想定されていた。収容者に労働を求めることで、人々が怠情に陥ることを防止するとともに、退院後の就労支援策をも目論んだものである。これら勤労院の効率的・人道的な運営を担保するために、ベンサムが考案したのがパノプティコン(panopticon:全展望型監視システム)である。このシステムにおいては、収容者の一挙手一投足まで監視者の一望の下におかれ、その監視者も外部への情報公開を通じて社会的監視に服する。このシステムは、当時存在した労役場における非人道的処遇を改めるという問題意識に基づいて提案されていた。

   貧困のどん底にある者に対し、労働の場と規則正しい生活を提供し、院外での自立的生活への足がかりを与える。収容者への監視は、彼らが怠惰な生活へ逆戻りするのを防止するとともに、彼らへの虐待を阻止する。院の運営もまた社会による監視に服することで、院ぐるみの不正を抑止する。

   パノプティコンは当時としてはよく考えられたシステムといえなくもないのだが、強い非難にも晒されてきた。反自由主義的な権力の道具であるとの批判であり、例えば、ミシェル・フーコー(『監獄の誕生』)は、パノプティコンを肉体の訓練と監視を通じて、権力に従順な精神を作り上げるよこしまなシステムとして攻撃している。

   たしかにパノプティコンには、自由で主体的に決定するという近代以降の人間観と相いれないところがある。望むらくは、失業者は自ら生活を律しつつ、求職活動にあたり、自ら必要な訓練を選択するのであるし、さらに言えば、アルチュール・ランボーのように放浪生活の果てに短い人生を終える自由だってあって然るべきであろう。パノプティコンが収容者に与える規律がパターナリスティック(家父長主義的)であるのは間違いない。

   それでも、国や社会を治めるという視点に立つからには、誰もが自律して求職できるわけではないことは考えねばならないし、詩才を欠くランボーのような人物がふわふわとうろついている社会にはどこか問題があるような気になるものである。人間が「自由な主体」と言い切れるほど立派なものではないとすれば、パターナリズムとの批判は頭に置きつつも、なんらからのパノプティコン的なシステムの導入は検討に値する。フーコーは、精神病院、学校、性的行動の分野で、監視し規律する権力を批判し続けたけれども、これらの微妙な領域では、権力を非難するだけでは事は済まない。

    

【霞ヶ関官僚が読む本】現役の霞ヶ関官僚幹部らが交代で「本や資料をどう読むか」「読書を仕事にどう生かすのか」などを綴るひと味変わった書評コラムです。

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