■『「健康格差社会」を生き抜く』(近藤克則著)
■『Panopticon』(ジェレミー・ベンサム著)
『「健康格差社会」を生き抜く』(2010年)で、著者の近藤氏は、データーベースに基づく分析を通じ、経済格差と健康格差との間に顕著な相関関係があると指摘している。お金持ちは、①転びにくく、②よく眠り、③うつが少なく、④要介護リスクや虐待が少なく、⑤元気で長生きで、⑥死亡率が低い、という。本書によると、これらの関係は必ずしも因果関係であるとまで明らかにされているわけではない。すなわち、経済格差が存在するが故に健康格差が存在することの検証が済んでいるわけではない。ただ、検証の不足を認めた上で、近藤氏が提言するのは、検証が完了するまで対策を先送りすることよりも、相関関係に基づく確からしさをもとに対応を始めることである。
社会環境への介入を通して健康格差是正
公衆衛生対策との類推に基づき、近藤氏はこのアプローチを「社会疫学」と呼んでいる。具体的には、健康状態を個々の単なる自己責任に帰するのではなく、不健康な行動をとらせていることには社会にも責任の一端があるとし、社会環境への介入を通じて、健康格差の是正を図ることを説いている。その上で、付加価値の合計であるGDPの最大化よりも、健康という基礎的な幸福(well-being)の指標の社会的最大化を図ることを政策目標にすることを提案している。
評者が興味深く思ったのは、健康というwell-beingを増進するための対策を本書が提唱するに際し、格差の伝統的な議論で登場する再分配政策にとどまらず、(医師としての専門性を活かし)健康関連施策まで目配りし、これら施策を健康というゴールに紐づけて包括的に提示しようと試みる「姿勢」である。
近藤氏は「積極的な社会政策」や「医療費の窓口負担の軽減」を取り上げており、これらについては、財源の問題や政策の効率性(政策がどの程度本当に困っている者に役立つか)から、評者なりに疑問なしとしない。他方、肥満対策において職場ストレスの軽減まで視野にいれることや、加工食品への塩分添加の抑制を通じた減塩対策など、社会環境への介入を通じて、個々の意識的努力を超えた環境を作り変えるという「姿勢」は理に適ったものである。環境と健康の因果関係が確立したものではなくても、一定の「たしからしさ」を備える場合、とられる政策手段が過度に大きなコストを伴うのでなければ、そのコストとの比較考量の上、環境への介入を通じ、人々の行動の善導を試みることはあってよい。近藤氏の提唱する「社会疫学」の考えは、はやりの行動経済学にも通ずるところがある。