公務遂行の厳しさと政治、著者の苦悩と悟りの境地
ところで、一身を賭する仕事は、実は自衛官や警察官・消防士・海上保安官ばかりではないと評者は思っている。
イラクで銃撃を受けて亡くなった奥大使は有名だが、それ以外でも、危険な場所で公務に従事している外交官は多数ある。国内にあっても、厚労省の麻薬取締官や、国税庁の徴収職員などは、暴行脅迫を受けること日常茶飯事と聞く。
重病をおして憲法解釈の変遷を担った小松法制局長官や、末期癌の身で財務省の陣頭指揮を執り続けた香川財務事務次官も、職務のために自らの命を削って奮闘された。高官でなくとも、壮絶な仕事で「過労死」した官僚を、評者は何人か知っている。
政治と直面する、ということは、国民の鏡と直面する、ということだ。満身創痍になりつつもなお、国民を信じ、国民を説得することに死力を尽くしたそうした官僚たちは、決して政治を悪く言うことはなかった。
評者はあるひとに、一句、ご教示いただいたことがある。「濁りても 濁りてもまた 澄みかえる 日ノ本の河」と詠まれたその句には、自身、何度も励まされてきた。
国民や政治に不信を抱く前に、我々には多くのなすべきことがある。
それにしても、伊藤氏の迫力たるや、すさまじい。
投げかけてくるシンプルな問いは根源的なものが多く、批判的にせよ考えさせられる。内容は全てが実体験に基づいている上に、生命を賭する職責にあるからこその苦悩も赤裸々に語られており、その限りにおいてプリミティブな哲学書となっていく趣さえある。
著者・伊藤氏の人間的な魅力が、そこには確かにある。本書末尾に紹介されている著者が到達した境地は、素朴な温かさと真心にあふれている。
伊藤氏は相当な酒豪のようだ。いつか一献、傾けてみたいものである。
酔漢(経済官庁・Ⅰ種)