鳥越俊太郎とは対極にある 覚悟の人の哲学書

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   ■「国のために死ねるか」(伊藤祐靖著、文春新書)

   本稿が出る頃には、鳥越俊太郎バッシングも一段落していることだろう。評者が本書を読んでいるまさにその頃に都知事選挙が行われていた。「型破りの本書著者・伊藤氏は鳥越氏の対極の存在だな」と思いつつ頁を繰った次第である。

   その対極とは、右翼左翼の比較ではない。責任感における対極だ。より端的に言えば、己のみならず己の周囲に起きることも全て責任を背負う覚悟がある者か、あるいはその逆か、という軸においてである。

「国のために死ねるか」(伊藤祐靖著、文春新書)
「国のために死ねるか」(伊藤祐靖著、文春新書)

命がけで公務に従事する人々を正当に評価すべき

   海上自衛隊にあってゼロから特殊部隊を立ち上げた強者による、情熱あふれる本書は、その熱気の故に反発を感じる方がおられるかも知れない。タイトルを読むだけで目を背ける方もあろうと思う。

   だが、国防のみならず警察・消防・海上保安庁など、命をかけて使命を遂行する方々は多数おられる。「踊る大捜査線」や「海猿」といったフジテレビの映画を思い浮かべて頂ければ、このことは容易に理解できよう。

   自衛官は、着任に当たって宣誓する。一般職国家公務員の我々も入省時に宣誓しているが、自衛官のそれは内容からして異なる。「事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえる」というくだりは特に有名だ。防衛予算を指して「人殺しの予算」と称した某党幹部が批判を浴びたが、自らの命を懸けて公務に従事する人々を、そろそろ正当に評価するべきではなかろうか。

   伊藤氏は部族闘争や自然界の弱肉強食をヒントにこの国のあり方を考える。

   『市民論』でホッブズが言うところの「万人の万人に対する闘争」ですらない、自然の摂理のようなものから日本の国柄を考えるその姿勢は鮮烈だ。

   だが、そこに法の秩序を見出すことがないのは残念だ。弱肉強食には正義不正義はないが、伊藤氏は自然界や部族闘争を念頭に置きつつも、自らの拠って立つ立場に無意識的にせよ正義を求めている。捕食者が被捕食者を捕えて喰らうのは、自然界では自然の摂理でも、人間界で人間同士が(比喩的にせよ)行えば重罪である。ヒトと禽獣は、法の有無でもその区分ができよう。

【霞ヶ関官僚が読む本】現役の霞ヶ関官僚幹部らが交代で「本や資料をどう読むか」「読書を仕事にどう生かすのか」などを綴るひと味変わった書評コラムです。

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