甲子園の女子マネ排除をも喝破した「八月ジャーナリズム」論

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   毎年8月になると、先の大戦にかかわる報道が急に増える。これを俗に「八月ジャーナリズム」という。これに、大きな問題提起を行なったのが、戦後60年になる2005年7月に刊行された、メディア史・大衆文化論を専攻する佐藤卓巳氏(京都大学大学院教育学研究科教授)の手になる「八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学」(ちくま新書)である。2014年12月に増補されて、昨夏に評者が取り上げた加藤典洋著「敗戦後論」と同じ、定評ある「ちくま学芸文庫」の1冊に加えられた。

    なお、佐藤氏には、「付和雷同のセロンと責任あるヨロンは、かつて別物だった!」ことを通じて戦後を検証した「輿論(よろん)と世論(せろん) 日本的民意の系譜学」(2008年9月 新潮選書)もある。「輿論(よろん)の復権」を唱えた、これまた読み応えのある優れた1冊だ。

  • 「八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学」のちくま新書版(左)とちくま学芸文庫版
    「八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学」のちくま新書版(左)とちくま学芸文庫版
  • 「輿論(よろん)と世論(せろん) 日本的民意の系譜学」
    「輿論(よろん)と世論(せろん) 日本的民意の系譜学」
  • 「八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学」のちくま新書版(左)とちくま学芸文庫版
  • 「輿論(よろん)と世論(せろん) 日本的民意の系譜学」

なぜ玉音放送の八月十五日が終戦記念日なのか

   本著(ちくま学芸文庫)の帯には、「あなたは12月8日と9月2日を覚えてますか?」、また、「戦争の記憶ではなく、戦後の忘却の上に成立する『八月ジャーナリズム』の惰性を超えて。」とある。そして、裏表紙には、「『戦没者を追悼し平和を祈念する日』が制定されたのは、戦後から三十七年が過ぎた一九八二年四月十三日である。ポツダム宣言を受諾した八月十四日でも、降伏文書に調印した九月二日でもなく、なぜ『忠良なる爾臣民』に向けた玉音放送の八月十五日が終戦記念日なのか。この集団的記憶は御聖断による国体護持を重視する保守派にも、八・一五革命(丸山真男)を信じたい進歩派にも心地よい『記憶の五五年体制』の上に構築された。その編成プロセスを新聞の「玉音写真」、ラジオのお盆中継、学校教科書の終戦記述から徹底検証したメディア史研究の金字塔。世界のVJデイ(九月二日)と向き合い、戦争と平和を論じるため、新たに三篇を増補。」と本書の内容が簡潔に紹介されている。

   序章「メディアが創った『終戦』の記憶」は、故大島渚監督の、「敗者は映像を持つことができない」という言葉を引きつつ、「玉音を拝聴した国民の姿」を記録した写真も必ずしも多くなく、その瞬間を撮ったとされる写真も、実はその瞬間に撮られた根拠が薄いことを、学問的検証からよどみなく明らかにしていく。その記述に読者はぐいぐいと引き寄せられるはずだ。そして、「おそらく、戦後に生まれた私たちに必要なのは、創作写真を抱きしめることではない。記録写真を持つことができない敗者だったという事実に耐えることではあるまいか。」という。

【霞ヶ関官僚が読む本】現役の霞ヶ関官僚幹部らが交代で「本や資料をどう読むか」「読書を仕事にどう生かすのか」などを綴るひと味変わった書評コラムです。

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