「ラテンのり」が加速した2年間
もともと南仏人のミヨーが、ラテンアメリカに2年間暮らして、ますます「ラテンのり」が加速しました。彼は、音楽院の時代から研究していた「復調」=異なる2つの調を重ねて演奏することによって独特の不思議な雰囲気を醸し出す技法を編み出したのですが、そこに、ブラジルで聴いたサンバなど、現地の音楽がインスピレーションを与えました。特に、リオで聴いた、「ブラジルのショパン」と呼ばれるピアニスト、エルネスト・ナザレの演奏には強い影響を受けたようです。ヨーロッパのクラシックにはない、ブラジルの響きがあったからです。ちなみに、ナザレはミヨーが訪れたころ、映画館で演奏していたのですが、そこでの仲間に、このコラムにも登場したのちの大作曲家、ヴィラ=ロボスがチェロを弾いていました。
2年間のブラジル体験を経て、ミヨーが作曲したのが、ピアノ曲集「ブラジルの思い出」です。原語ではサウダージとなっていますので「ブラジルの郷愁」とも訳されます。「コパカバーナ」や「イパネマ」、「コルコヴァード」などの、外国人にもよく知られた地名を持った曲が12曲で構成されています。ミヨーの復調を使った独特の響きで、ブラジルの風景が描写されています。
ミヨーはユダヤ系だったため、第二次大戦の時も、フランスを離れてアメリカに逃れますが、そこでもバイタリティーをいかんなく発揮し、戦後も旧大陸と新大陸を行きつ戻りつの生活をしつつ、生涯で、500曲近い曲を残しました。どこまでもエネルギッシュなミヨーと、今、世界のアスリートが集結して盛り上がっているブラジルが出会った「ブラジルの思い出」、ぜひ、聴いてみてください。
本田聖嗣