「絶対的必要」の充足だけが「至福」への道か
スキデルスキー父子の提言は、我々がこのトンネルの出口に近づいているという認識に基づいている。出口が近いのにも関わらず、依然として貪欲を神として崇めている我々に警鐘を鳴らし、人類の歴史上の常態である、必要以上に求めない生活と経済に復する道を探る。
はたして我々は出口に近づいているのだろうか。国内、さらにはグローバルな格差が存在するから、まずはその格差をなんらかの方法で修正することが必要となる。そして、その修正が上首尾に達成できることを前提として考えることが許されるのなら、たしかに出口が近づいた徴候がないわけではない。「もはや消費者には買いたいものがないのだ」というのは経営学者らの決まり文句になっている。ラジオ、自動車、スマートホン、次々と繰り出されてきた商品は最近では小粒化している。
それでも、他方では、ほしいものがないというのが本当のことなのか、首をひねるような事例がないわけではない。最近では高額な薬が次々と開発されており、例えば、オプジーボという肺がんの特効薬の場合、これは一剤でひとりあたり年間3500万円、日本全体で1兆7500億円もの薬剤費がかかるとの試算もあり、国家財政を傾けてしまうとの懸念の声が上がっている。再生医療を活用した臓器の置き換えが実用化されれば、費用はけた違いにかかることになりそうだ。人工知能(AI)を活用した家事ロボットや恋人ロボットが実装化されれば、飛びつきたいという者がいるのではないか。むしろ、ほしいものはあるが、いまだ開発途上であるか、あるいは単に我々が充分に豊かではないから、需要が顕在化しないだけともいえる。