世界のあちこちでテロが続く。日本はこれからどうなるのだろう。いろいろ気になるニュースはあるけれど、自分にとっての今の問題は別のこと――という人も少なくないのでは。人気エッセイスト、平松洋子さんの新刊『彼女の家出』(文化出版局、2016年7月17日刊)は世界や日本の動きとは無関係。50歳を過ぎていつのまにか還暦が近づいてきた女性の、悩ましい日々のつぶやきだ。
かわいそうなのは夫じゃない
「女50代、しょっぱい現実にどう立ち向かう?」という文字が表紙の帯に踊る。本書で扱っているのは、「下着の捨てどき」「老眼鏡」「実家の空き部屋」「夜中の腕まくり」など著者と同世代の女性の、ささやかな日常の一コマだ。
高価な舶来の下着に寿命が来た。かつて清水の舞台から飛び降りるつもりで購入しただけに、捨てられない。そんな悶々とした経験がある女性は少なくないことだろう。なぜか。「女50代」。この下着を捨てることは、自分の若さも捨てることになるからだ。さて、どうするか。
久しぶりに実家に帰る。子供のころに使っていた自分の部屋がそのまま残っている。10代の自分がよみがえる。ボーイフレンドからの手紙。古びた勉強机。懐かしい思い出が満載だ。しかし今はすっかり老いた両親。布をかぶせられた家具。とっくに静止したはずの時間の扉が開いて、何かがもぞもぞと動き出す。
表題の「女の家出」は、直前まで家族には内緒にしたまま突然、一人でロンドン旅行に行ってしまった女性の話だ。結婚して26年。彼女になにがあったのか。夫はただうろたえているばかり。でも、彼女の気持ち、よくわかるよ。かわいそうなのは夫じゃなくて、妻だったのだ!
引っ張りだこのエッセイスト
選挙の季節。白手袋を振りながら絶叫する補者たちのように、世の中の大問題を声高に語るわけではない。テロ事件を深刻な顔で報道するニュースキャスターのように、世界のこれからを心配しているわけではない。でも著者ら「女50代」にとっては、これこそ「大問題」ということが山のようにあるのだ。
かつて井上陽水は、「傘がない」という歌で、都会では自殺する若者が増えているが、いまの自分の大問題は今日の雨だ、「傘がない」ということだとうたった。平松さんもまた静かに「女50代」の、今日の問題をつぶやく。
本書は女性誌「ミセス」などの連載をまとめたものだ。かつて女性誌では、向田邦子さんを頂点に女性エッセイストの黄金時代があった。さらに上の世代の宇野千代さんらがいた。しかし世代が替わり、女性誌の部数減などで最近はやや不足気味だ。
そんな中で平松さんは、いま最も引っ張りだこの1人だ。当初は料理雑誌で健筆をふるい、いまやテーマは専門分野の食文化だけでなく、暮らし、文芸などへと広がっている。2012年には『野蛮な読書』で講談社エッセイ賞を受賞した。積極的に自分で取材し、インタビューもできるのが強みだ。近著に『食べる私』(文藝春秋、16年4月20日刊)がある。