先週は、自動車愛好家だったプッチーニのオペラ「トゥーランドット」から1曲のアリアを取り上げましたが、今日は、自動車そのものが主役という珍しい曲、アメリカのフレデリック・コンヴァースの「大衆自動車 一千万台」という曲が登場します。
蒸気機関よりガソリンエンジン
産業革命の定義は厳密にはいろいろありますが、それを最初に成し遂げた国は、ヨーロッパのイギリス――いまEU脱退を決断してしまい政治的・経済的に混迷していますが――であることは衆目の一致するところです。当時世界各地に植民地を持ち、原料を調達し、大規模化した工場で衣料品などを生産し、それをまた世界に売りさばく...というサイクルで産業革命を推進したイギリスですが、それらを支えた技術が蒸気機関と製鉄技術です。流通が盛んになると大量輸送に向く交通機関が必要になりますから、これらの技術を合わせて、イギリスは「鉄道」をも生み出しました。欧州は、隣国同士が長年のライヴァルというところが多いので、鉄道技術はすぐに軍事技術の一つとしてヨーロッパ各地で発達しました。徒歩や騎馬に比べて、鉄道は兵員や武器の大量輸送に向いていたのです。軍事関連は莫大な予算の投入を可能としますから、ヨーロッパでは、鉄道の発達が急速に進みました。
しかし、欧州とつながりが深い海を越えた新大陸、アメリカでは事情が異なりました。新興国アメリカは、南北戦争が終わると、他に戦争をするような異国とあまり国境を接していないため、国内の兵員輸送に鉄道を使わなくてよく、欧州が石炭をよく産出し、それを利用した蒸気機関が利用しやすかったのに比べ、アメリカは「次世代のエネルギー」である石油が豊富に、容易に採掘されたのです。蒸気機関を利用した自動車の発明国はフランス、ガソリンエンジンを搭載した自動車の発明国はドイツ、といずれもヨーロッパの国々ですが、アメリカは、鉄道をくまなく敷設するには国土が広大すぎ、鉄道が十分発達する前に、自動車がヨーロッパからもたらされると、石油生産者たちの意向もあって、急速に自動車交通の整備が進みます。
鉄道や船が大衆交通機関であったヨーロッパでは、自動車は最初「富裕層の趣味の乗り物」という性格が強く、先週登場したプッチーニなどは、まさにそれを担った一人でしょう。しかし、アメリカの巨大な工業力は、それを庶民のものとします。20世紀が明けて間もない1908年にフォード社が売り出したモデルT、いわゆる「T型フォード」はベルトコンベヤー利用の量産方式などを取り入れて価格を大幅に抑え、モデルチェンジをしないまま、なんと1927年まで、1500万台以上も生産され、それまで自動車と縁のなかった層にまで自動車を行き渡らせました。まさにアメリカらしい「自動車の民主化」を成し遂げた車種です。