「人間性」の保護? あるいは...
たしかにその通りだろう。ただ、それだけである。本人に知らされなければ、幻の子どもと幻の科学研究とともに人間は満足して死んでいく。未来のソーマ、未来の機械が与える甘い体験の中で、「人間性」などは蕩け去ってしまう。もしそれが嫌なら、もし技術のなかで溶けていくことに違和感を感ずるのならば、その違和感を言語化し、「人間性」の保護のため技術にどのように縛りをかけるか、幅広く議論を喚起する必要がある。
あるいは、もはや人間は「人間性」などという古い殻を脱ぎ捨て、動物的幸福の最大化のなかに身を投じてしまうのがよいのかもしれない。技術革新を進めることに加え、前提条件を整える必要がある。具体的には、生産性を高め、富をあまねく行きわたらせ、人間の数を減らし、地球環境との調和を達成する。あと一世紀はかかりそうだ。ただ、実現できれば、人類史の最後を飾る偉業となろう。
さて、読者はどちらの道を進むのがよいと考えるか。
経済官庁(課長級) Repugnant Conclusion