機械技術、生命科学の進歩で際立つ「人間性」の脆弱さ

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「地球へ...」(竹宮惠子)/「すばらしい新世界」(オルダス・ハクスリー)/「エレホン」(サミュエル・バトラー)/「未来世界の倫理」(ジョナサン・グラバー)

教養漫画?

   24年組の一角を占める竹宮惠子の『地球へ...』(1977-80年)は、環境破壊から地球を離れることを余儀なくされた人類を描いた漫画である。この世界は、「特殊統治体制」というコンピューターによる管理下にある。人間は人工子宮から生まれ、代父母のもとで育てられ、14歳の誕生日(目覚めの日)に仮の家族からさえ引き離され、子ども時代の記憶を抹消される。本作で描かれるのは、ミュウという特殊能力を持つ少年たちが地球を目指し、普通の人類と繰り広げる血みどろの戦いである。文庫版併載の石子順氏の解説では、本書は「支配者側によって苦痛を与えられたものたちが、それが何故なのかということに目覚め、やがてそれを変えようと行動していく姿のりりしさ。これは苦悩と救済のドラマであり、それを行うのは自分たちしかいないという自己発見のドラマである」としている。

「地球(テラ)へ...」(中公文庫コミック版、全3巻)
「地球(テラ)へ...」(中公文庫コミック版、全3巻)

   教養小説(Bildungsroman)ならぬ教養漫画として『地球へ...』を読むのは、ひとつの読み方ではある。しかしながら、本作から評者に伝ってくるのは、むしろ自己発見の困難や挫折であるように思う。「特殊統治体制」への抵抗は、ミュウによる特殊能力をもってして辛うじて可能となるものであった。人類の側が対抗措置を取ることで、ミュウも人類もともに最終的には地球を失ってしまう。ミュウの長と人類の指導者の間で相互理解が得られるが、その相互理解の代償は地球そのものであった。最終章は宇宙をさすらう宇宙船の邂逅を描いて幕を閉じる。圧倒的に技術化された社会では、抵抗には人間離れした能力が必要とされ、折角の抵抗もその成果は貧弱なものである。このペシミスティックな読み方は、70年代末という『地球へ...』の執筆時期の時代の空気とも整合する。制度化された技術に対する「人間性」の弱さである。

【霞ヶ関官僚が読む本】現役の霞ヶ関官僚幹部らが交代で「本や資料をどう読むか」「読書を仕事にどう生かすのか」などを綴るひと味変わった書評コラムです。

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