関東防空大演習を嗤う
桐生が新聞界を追われたのは、「関東防空大演習を嗤う」という一文が原因である。昭和8年8月11日信濃毎日新聞紙上での桐生の文章は、冷静な筆致ながら表題をはじめ刺激的な表現を散りばめている。昭和20年3月のいわゆる東京大空襲に先立つこと十余年前の説である。論旨を抜粋しよう。
「敵機の爆弾投下こそは、木造家屋の多い東京市をして、一挙に、焼土たらしめる」「そこに阿鼻叫喚の一大修羅場を演じ、関東地方大震災当時と同様の惨状を呈する」「敵機を関東の空に、帝都の空に、迎え撃つということは、我軍の敗北そのもの」「最初からこれを予定するならば滑稽であり、やむを得ずして、これを行うならば、勝敗の運命を決すべき最終の戦争を想定するもの」である、と桐生はいう。
そして、この防空大演習は「パペット・ショーに過ぎない」と喝破したのである。
この正論に、在郷軍人の政治組織である信州郷軍同志会が噛みつく。
同演習は「その意義極めて重大にして」との陛下の御沙汰書が下っており、社説は不敬にわたる、というのが理由だ。桐生の社説は当時の新聞紙法にいう秩序紊乱のおそれがなく同法では取り締まれぬ。そこで御沙汰書に事寄せた。つまらぬ揚げ足取りというほかないが、これを盾に、全信州八万の郷軍同志会が発行部数二万の同新聞をボイコットすると脅しつける。
曲折を経て、事態は桐生が自ら退職して収拾される。信濃毎日新聞は横車に屈したのである。
会社は経営が成り立ってこその存在であり、これは時代が下っても変わらない。小規模の言論機関への経済的攻撃は痛打だ。主義の左右を問わず、言論には言論のみで対抗する自制が欲しいのもまた、今の世と変わらない。