言論人の生涯を描く力作である。本書カバー裏の解説にはこうある。
「明治末から日米開戦前夜に至るまで、『信濃毎日』『新愛知』の主筆として、また個人雑誌『他山の石』の発行人として、どこまでも反戦と不正追及の姿勢を貫き、ジャーナリズム史上に屹立する桐生悠々...」
但し、読了してみると「反戦と不正追及の姿勢」は正確とは思えない。桐生は徹底した合理主義者であり、事実と論理に忠実な人、というのが評者の印象だ。この解説はいかにも岩波らしい桐生評というべきだろう。
乃木殉死を批判する
桐生は幾度も筆禍に遭う。明治天皇の崩御に伴い乃木希典大将が殉死したが、これを批判した社説への反響もその一つだ。
日本中が乃木の忠義に感動を深めていく中、桐生は「五箇条の御誓文」の第四条「陋習を打破し、天地の公道に就く可し」を引き、封建の陋習たる殉死は許されず、次の天皇に仕えることが公道と説く。社説はさらに、社会貢献や人情、殉死の奨励が招く弊害(善人が滅び、悪人がはびこる)等々を挙げ、同情は寄せつつも乃木の行為を徹底的に批評している。
今聞けば真っ当な議論だが、時代は桐生の主張を許さなかった。今でいうバッシングが沸き起こり、「なかには紙面に痰を吐きかけて送り返してくるもの」もあったと著者は記している。異なる意見を許す度量なく、感情論で集中砲火を浴びせた当時の世論は、現代の奇妙な同調圧力や「炎上」と言われるネット上の罵詈雑言と重なる。
ここで著者はこう語る。「『識者』の歯切れの悪い談話をもって、新聞が『代弁』という逃げの姿勢で、乃木将軍の殉死を扱ったなかで、信濃毎日の悠々社説は、やはり異色の存在だった」。
ここから、「識者」に語らせて事足れりとする風潮が当時からあったことが知れる。
おそらくは、事実誤認や虚偽を混ぜた煽情論で売文する者を「識者」とし、その言を見出しで誇張して人々の溜飲を下げさせる今の週刊誌のようなやり口もまた、あったことだろう。
「悪貨は良貨を駆逐する」は言論市場にあってほしくないが、良識ある人ほどデマゴーグには眉を顰めつつも沈黙してしまう。週刊誌は、著名人の醜聞は得意だろうが、政策論議は極めて怪しい。中吊り広告に踊る「大胆な政策」「○○を徹底批判」の類は、悪意ある曲解や誤謬を含むものばかりだが、鵜呑みにする人が存外多いことに、評者は驚いている。