プロコフィエフの子供向き傑作「ピーターと狼」 大人にも聴きごたえのある曲集

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   先週、先々週と取り上げてきたシューマンの「子供の情景」、「子供のためのアルバム」のような、子供を題材とした音楽や、子供向けの音楽は、名のある作曲家が手掛けることが多いジャンルです。純真な存在としての子供をモデルにした曲だったり、初学者としての子供に役立つような教育目的の曲集だったりと、作曲の動機は様々ですが、「たとえ簡単な作品でも自分の能力を活かせる」ということを世の中に知らしめることもできるため、子供向けの作品といっても、決して「手抜き」ではない、どころか力の入った力作が誕生する場合も多くあります。今週は、ロシアの20世紀を代表する作曲家、S・プロコフィエフの朗読つき音楽、「ピーターと狼」を取り上げます。

  • 『ピーターと狼』絵本の挿絵
    『ピーターと狼』絵本の挿絵
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    『ピーターと狼』絵本の挿絵
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    『ピーターと狼』絵本の挿絵
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  • 『ピーターと狼』絵本の挿絵
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革命でロシア脱出、狼より恐ろしい「社会主義」のソヴィエトに復帰

   プロコフィエフ自身は恵まれた子供でした。貴族でこそないものの、ロシアの裕福な家庭に生まれ、早くから音楽教育を受けて、天才ぶりを発揮します。わずか13歳でサンクトペテルブルク音楽院に入学した時は、ピアノの腕前も一流かつ、作曲家としてもすでにいくつもの曲を作曲していたのです。しかも、それがオリジナリティの高い作品群で、音楽院では、彼の作品は斬新すぎて、教授陣を困惑させた、と言われています。経済的に恵まれた家庭に育ったこともあり、彼は早くから親に連れられて西ヨーロッパも旅しており、優れた能力の上に、広く世界を知ってもいたので、早くから個性の強い、独自性を打ち出した音楽を作り出すことに邁進できたのです。

   しかし、彼の周囲の環境が激変します。祖国ロシアでロシア革命がおこり、そのあと他国の干渉もあって内戦が始まってしまったのです。祖国での活動に不安を感じたプロコフィエフは、1917年、シベリア鉄道経由でロシアを脱出し、日本にも立ち寄り、アメリカに渡ります。しばらくアメリカで活動した後、1923年にはフランスに居を移します。ロシアの革命の混乱を受けて祖国を離れ、西欧で活躍した作曲家はラフマニノフやストラヴィンスキーをはじめ、数多くいます。この2名もそうですが、そういった人たちは、西欧に定住しますが、プロコフィエフは、最終的に「社会主義ソヴィエト」となった祖国に戻る、という行動に出ます。既に、フランスでは、アメリカで知り合ったスペイン系の妻と結婚し子供もいたのですが、やはりロシアに強い思い入れを持っていたのでしょう、何回かの祖国ロシア演奏旅行の後、意を決して1936年に祖国へ帰るのです。

本田聖嗣プロフィール

私立麻布中学・高校卒業後、東京藝術大学器楽科ピアノ専攻を卒業。在学中にパリ国立高等音楽院ピアノ科に合格、ピアノ科・室内楽科の両方でピルミ エ・ プリを受賞して卒業し、フランス高等音楽家資格を取得。仏・伊などの数々の国際ピアノコンクールにおいて幾多の賞を受賞し、フランス及び東京を中心にソ ロ・室内楽の両面で活動を開始する。オクタヴィアレコードより発売した2枚目CDは「レコード芸術」誌にて準特選盤を獲得。演奏活動以外でも、ドラ マ・映画などの音楽の作曲・演奏を担当したり、NHK-FM「リサイタル・ノヴァ」や、インターネットクラシックラジオ「OTTAVA」のプレゼンターを 務めるほか、テレビにも多数出演している。日本演奏連盟会員。

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