丹念な取材で思いもよらない事実を知る ―抱えていた思いを痛いように共有していく過程―
著者は、小倉に関する、こうした謎の答えを知りたいと思い、軽い気持ちで取材を始める。それが思いもよらない事実と遭遇し、追い続けるうちに1年半もの期間を費やすこととなった。
ノンフィクションとしての本書の核心は、この「意外な事実」であるが、ネタをばらしてしまうと、本書を読む意味が大きく減じてしまうので、ここではただ「家族をめぐる問題」とだけ触れておく。
前述のように、本書は、小学館ノンフィクション大賞を受賞しているが、史上初めて、選考の際、委員全員が満点をつけ、満場一致で選出されたという。評者自身も、頁をめくる手がもどかしく思えるほど没入してしまったが、それは、著者が、この事実に辿り着くまでの丹念な取材に負うところが大きい。
著者は、小倉に関する書籍は無論のこと、講演録など大量の資料を読み込むとともに、数十人もの関係者を訪ね、丁寧にヒアリングを行っている。その対象は、ヤマト運輸の関係者や経済界の交遊者にとどまらず、妻の友人、小倉夫妻と交流のあった神父、鍼灸師、晩年に小倉の世話をした女性、ロサンゼルスに住む子ども達にまで及ぶ。
著者の旅は、北海道、静岡、新潟、最後はロサンゼルスへと続く。小倉の知られざる一面が明らかになるにつれ、著者の小倉への思いが深まっていく。今回の取材は、「小倉が抱えていた思いを痛いように共有していく過程」だったという。
そして、最後まで読み進めた読者は、小倉をめぐる「意外な事実」の全容を知り、著者が感じていた3つの謎の意味を理解する。「そうだったのか」という思いととともに、小倉の生き方に深い感動を覚えるに違いない。